見出し画像

全力で「苦労」や「怒られること」を回避していくスタイルを貫く

今日は「苦労自慢」というちょっと変わったテーマでお話をさせていただきまして。

自分自身の「苦労」を考えてみたんですけど、あまり思いつかなかったんですよ。というのも、わたしは「苦労」を全力で回避してきたからです。

「苦労は買ってでもしろ」という言葉があるけど、人はいずれ死ぬのになんで苦労しなきゃいけないの? 苦労なんて知らずに健やかに生きて安らかに眠ったほうが良くない????

と本気で思ってます。そして、「苦労」をしないためには、「知識」が必要であることも知りました。

この前、こんな記事を書いたんですけど、情弱だと損をするだけじゃなく苦労もしてしまうんですよね。

わたしがこれまでにした苦労といえば

・就活でどこも受からなくて泣いた
・新卒で「営業」を知らないまま入社したらコミュ障発動して泣いた
・広告代理店に入ったら残業だらけで泣いた

ぐらいなのですが、どれもこれも「無知」であるがゆえに引き起こっているんです。企業研究やOB訪問でもすれば回避できたのにな…。

そうです。知識があれば苦労を全力で避けられるのです。

だからわたしは、フリーランスになってからは「いかに苦労を回避するか」に重きを置いて生きてきました。

がむしゃらに働かなくても、固定費を下げれば生きられると知っているからヘルシーに働けているし、デジタルデバイスを駆使しまくることで労力をかけずにサクサク仕事を進めています。

さて、苦労をしなかったことで何かデメリットがあったか…と言われれば、

・怒られ耐性がない
・メンタルが弱い
・根性がない(すぐ飽きる)

というようなことが挙げられますが、ありがたいことに今のご時世、このあたりはあまり重視されていないからそんなに困ってないです。これが昭和だったらわたしは社会からドロップアウトしていたかもしれないけど。

でも、苦労じゃない「積み重ね」はやってきたと思っていて、強いて言えばそれがあるから生きてこられているような気がします。

たとえば、2018年からわたしは700本ものnoteを書いてきているのですが、これに関しては「苦労して積み上げてきた」という感覚がないです。

「なんか日記書いてたらすごい数になってた」

そんな感じ。だから、苦労なんてしなくていいけど、何かしらの「積み上げ」があるともっと人生はラクになるのかな、と思います。

苦労って、「あの苦労があったからこそ、今の自分がいる」という自信につながると思うのだけど、それは別に苦労じゃなくて、ただの「積み上げ」でもいいのかもしれない。

「いっぱいnoteを書いてきたからこそ、今の自分がいる」でもいいよね。

なんか知らないけど「楽しくやってきたこと」って評価されづらいです。わたしもインタビューで聞くときは「大変なことはありましたか?」とか「どんな壁にぶち当たりましたか?」とか聞きますもん。

人生は山あり谷ありのほうがストーリーとして美しく見える。

でも、別にずっとゆるゆるとしている人生でもいいじゃんね。

わたしはこの先も苦労したくないし、できるだけ苦労しないような生き方を選んでいきたい。そのために、いろんなことを知って、好きなことや得意なことを積み重ねていこうと思います。


サポートは牛乳ぷりん貯金しましゅ