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価値観が違っても、あなたを否定しているわけではないんだよ。

ここのところ、「生きづらい世の中だなぁ」って思う瞬間がよくあります。
今日は、そんな話。あ、別に病んでないですよ。


最近、暇なときにYouTubeで暮らし系のショート動画をよく見ています。

生活音ASMRとか、暮らしの便利グッズ〇選とか、賃貸DIYとか。
参考になるし、オシャレな暮らしを見ると「私もマネしたいな〜!」とテンションが上がります。

私は普通に楽しんで動画を見ているのですが、コメント欄がまぁ〜ひっでぇんですよ。

特定の投稿主が荒れているというワケではなく、生活系のチャンネルはどこも似たような感じで辛辣な言葉が並んでいます。

アホ・バカ・〇ねとかの直接的な暴言ではないので「アンチ」と呼んでいいのかは微妙なラインですが、否定的なコメントがものっすごく多いんです。


オシャレな容器に調味料を詰め替えれば、「ムダな行為」「見た目ばっかりにこだわってなんの意味があるの?」とか。

便利グッズを紹介すれば、「ムダな買い物」「どうせ使わなくなる」

約款上問題ないから画鋲を刺したのに、「規約でOKでも刺すな、常識がない」「その神経がおかしい」などなど。


いや……もう怖いよ、普通に。

ちなみに私もこっそり暮らし系の動画投稿をしているのですが、詰め替え関しては執拗に指摘されたことがあります。怖くてコメントは全部非表示にしました。ひぇ。


別にこれって、どっちも間違ってはいないはずなんです。

調味料を詰め替えたって人に迷惑はかからないし、画鋲だって家の持ち主である大家さんがOKを出してるなら他人がとやかく言うことではない。

でも、詰め替えない派の効率重視な考えも、「とはいっても私は画鋲はやめとくわ」という配慮も間違っていません。どっちも正解なの。


問題は、自分の正義・正解を人に押し付けることです。


どこにでも、人の価値観を認められない人はいます。
その中でも、特に暮らし系に辛辣なコメントが並びやすいのはきっと、暮らしは人生そのものだから。

どんなふうに暮らすのかって、一番その人の価値観が出る部分だと思うんです。


誰だって、自分の人生が正解だと思いたい。
「自分は間違っていない」と安心したい。


否定的なコメントは、そんな心の奥の奥にある気持ちの現れなのかな、と思います。
(とはいえ、本人も気づいていないレベルだろうけど。)


自分と違う暮らしをしている人がいたり、しかもそれを人から賞賛されていたりすると、自分の暮らしを否定されたように感じてしまうのかもしれません。

私も元々は認知の歪みがものすごいタイプだったので、勝手に自分を否定されたように感じ、攻撃的になってしまう人の気持ちはわりと分かります。

でも、決してそうではないんですよね。
ただ価値観が違って、重要視するものが人それぞれ違うだけなんです。


心ないコメントを並べている人たちに言ってあげたい。


あなたと違うことをしている人がいても、それはあなた自身を否定しているわけではないんだよって。

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