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学んできた理屈が現実に合わないなら、その理屈を疑わなければならない『MMTとは何か』◆読書ログ2020#05◆

2020年の5冊目は、『MMT〈現代貨幣理論〉とは何か 日本を救う反緊縮理論』です。

昨年頃からアメリカや日本で注目を集めているMMTですが、その歴史は浅く、誤解されているケースも多数見受けられます。
今回は読書メモとして、その勘所をまとめてみることにします。

MMT(現代貨幣理論)とは何か

そもそも「MMT」とは何でしょうか?
よく見かける説明としては、「お金はどんどん新たに発行すればいいので、自国通貨建てであれば国はいくらでも借金できる。財政赤字も政府債務も気にする必要はなく、むしろ拡大させて経済を活性化させるべきである」といった趣旨のものです。

僕が元々持っていたイメージも、概ねこのような内容でした。
しかしこれは、MMTの考え方から導かれる主張のごく一部を切り取ったものにすぎません。

MMTとは「Modern Money Theory」の略語で、一般に「現代貨幣理論」と訳されます。
MMTの本質は、あくまでも貨幣論なのです。

つまり、「現代社会における貨幣とは何か」という命題からスタートする経済理論なのであって、貨幣なるものの本質を見直してみると、そこから経済や経済政策の本来のあり方についてもいくつかの示唆が得られるという話なのです。

そしてそれらの主張は、これまで多くの国の政府が政策の拠り所としてきた主流派経済学の考え方とは大きく異なるものであって、さらに言えば、私たちが持っている「常識」的な考え方とも反するものです。
それゆえに各方面で「異端」とも称されるMMTですが、批判する人達は、MMTの根本的な考え方(例えば貨幣の本質について)を正しく理解せず、表面的な主張のみを切り取って、それを従来の主流派経済学の枠組みで考えている場合が多いように思われます。


貨幣とは何か

本来、MMTは貨幣論なのだと書きました。
「そもそも貨幣(money)とは何か」というのは、ちょうど数年前に仮想通貨が盛り上がってきた頃からよく話題に上がる問いです。

本書では、紙幣や硬貨のように物理的なモノとしての現金だけでなく、記録としての銀行預金残高なども含め、取引・決済の手段として即座に使用される資産のストックを「貨幣」と定義します。
そして貨幣には、①モノやサービスの購入を可能にする交換媒体  ②価値の貯蔵手段 という2つの機能*¹があります。
さらに、「貨幣」のうち政府(中央政府および中央銀行)が発行するものを「通貨(Currency)」と呼ぶことにします。

*¹ モノやサービスの価格、資産の価値、負債残高の表示などのために計算単位で使われることもありますが、貨幣と貨幣単位は明らかに異なる概念としてここでは厳密に区別します。

議論が分かれるのはこの先で、本来それ自体に素材としての価値がないはずの紙や金属や電子記録が価値を見出され、貨幣として機能するのはなぜかという問いです。

これに対し、主流派経済学は「原始社会の取引は物々交換だったが、それでは何かと不便だったため、それ自体に素材としての価値がある何らかの『商品』(例えば貴金属)が交換媒体として用いられるようになった。やがて、その『商品』との交換を約束するモノ(例えば貴金属よりも軽くて携帯しやすい紙の証書)を主に持ち歩くようになり、それが貨幣として定着した」という考えをベースにしています。
かつての金本位制を代表的な例に挙げる、いわゆる商品貨幣論です。

ところが現在の経済では、一般的に不換紙幣(素材としての価値を持った貴金属等との交換が約束されていない紙幣)が当たり前になっています。
これについて、商品貨幣論では「そういう歴史を経た結果、やがて他の人がそれを交換媒体として受け取ってくれると信じるようになったから、貨幣が価値を持った」、もっと単純に言えば「皆がそれに価値があると信じるから価値があるのだ」というような、なんとも腑に落ちない結論しか導くことができません

いずれにしても、不換紙幣が貨幣として立派に機能している今、原始時代から遡って云々という歴史的起源のストーリーそのものには、(それが仮に正しいとしても)さほど意味がないのではないかと僕は思います。
要するに、「この完全に文明化した現代社会において、不換紙幣が貨幣として価値を持っているのはなぜなのか」という問いについて、我々は正面から論理的起源を説明しなければならないわけです。

さて、MMTの貨幣観は信用貨幣論というものに基づいているのですが、その説明は少し長くなるので、ここでは要点のみまとめると、
人々は国家に対し何らかの支払い債務を負っていて、国家は自らに対する債務の支払い手段として国定貨幣を受け取ることを法的に約束しているから、債務を抱えた人々は国定貨幣を手に入れようとし、結果として、民間同士の取引においてもそれが支払い手段として機能する、これがMMTの主張です。

では、その国家に対する「何らかの支払い債務」とは一体何なのか。
それは、税金(租税)*²です。
現代社会においては、租税こそが貨幣に価値を持たせているのです。

*² 税金のほかに、行政サービスの手数料や法律違反による罰金などもこれにあたります。


税金は政府の財源ではない

MMTによると、主権通貨国の政府にとって税金は「財源」ではありえないということになります。
あくまでも、租税の主たる目的は「貨幣を動かす」、すなわち政府が発行する通貨に対する需要を生み出し、その通貨の価値を適正に保つ(インフレ率をコントロールする)ことです。

*³ その他の租税の目的としては、累進所得税などによって「所得と富の分配を変える」ことや、たばこ税や酒税等によって「悪い行動を抑制する」ことなどが挙げられています。

主権通貨国の政府の場合、新たに通貨をいくらでも発行できるため、支払い能力自体が制限されることはありません
「政府は支出の全てを、新たな貨幣を直接創造することでまかなっている」という命題は、理論の上だけでなく、実は現実の運用上でも成り立っているのだといいます(詳細なメカニズムの解説は本書をご覧ください)。

「支出をするためには収入が先行しなければならない」という家計や企業にとっての「常識」は、政府に対しては本来適用されないのです。

とすれば、「国民の血税を無駄遣いするな!」といったような批判も、「社会保障の充実のために増税します」といったような発言も、実は全くもって無意味だということになります。
しかし、政治家も国民も、幼少期からずっと信じてきたその「常識」を取り払って考えることができていません。


国債は政府の資金調達手段ではない

同様に、いわゆる政府の「借金」である国債も、政府にとっては資金調達手段ではありません

国債の役割は、資金供給量を増加させて、通貨に関する需要と供給のバランスをとることで、政策金利を目標水準に維持することです。
そのために、中央銀行が政府から国債を購入すると同時に、その代金として中央銀行当座預金(政府の預金)を新規に発行するというオペレーション(いわゆる「財政ファイナンス」)が実際の現場で行われています。

考えてみればとてもシンプルなことです。
要するに、1億円の通貨を「創造」するためには、同時に、マイナス1億円の通貨=1億円分の国債を発行し、中央政府の負債に計上すればよいのです。
このとき、事実上、政府外部からの資金調達は発生しておらず、政府にとって税金は財源ではないし、国債は資金調達手段ではないし、そもそも財源も資金調達手段も必要ないのです。

むしろ、『商品』があってそれと交換できる貨幣が生まれて、という従来の経済学の考え方では、実質的に無から価値ある貨幣が生まれたことになり、バランスシートは釣り合わず矛盾が生じます。

だとすれば、自国通貨建てで国債発行や借入れを行っている中央政府の債務残高がどれだけ増えたとしても、自らの意思に反して債務不履行(デフォルト)に陥って財政破綻することはなく、そして、「借金を返済するため」という名目で増税したり、「財政赤字を削減するため」という名目で政府支出を減らす緊縮財政を実施したりする必要もないということになります。
これは、「MMTの理論上はそういうことが可能になる」みたいな話などではなくて、すでに実際に行われている財政の実態をただ説明しているだけなのです。

当然のことながら、経済全体では「収入の合計=支出の合計」という関係が常に成り立っているはずです。
であれば、どこかを黒字に保てば、別のところを赤字にしておく必要があります。
一国の経済主体は大まかに民間・政府・海外の3部門に分けることができるため、したがって、民間部門および海外部門が黒字で、政府部門が赤字である状態こそがむしろ理想的であるというのがMMTの結論です。

従来の経済学では、財政赤字の拡大はインフレを引き起こすとされます。
しかしMMTによれば、財政赤字そのものがインフレの原因になるということにはなりません。

「政府には無限の支出能力がある」という説明のみが取り上げられて「MMTは極端なインフレを招く」と批判されることが多いですが、あくまでも「理論上は無限の支出能力がある」ということを言っているだけで、むやみやたらにお金を発行してひたすらにばら撒くべきだと言っているわけではないのです。
もちろん、そんなことをすればハイパーインフレどころか貨幣システムそのものが機能しなくなるでしょう。
しかし、租税や国債の機能を正しく理解していれば、それらを適切に運用することでインフレは抑制することは十分可能なのであって、むしろそういうバランスを取りながら財政政策を実行していく前提であれば、事実上の支出能力の限界は存在します

実際、対GDP比率で世界最高水準の債務を抱え、財政赤字を続けながら、さらに大規模な財政ファイナンスまで行っている日本が、一部の年を除き、実に20年以上もの期間にわたって、インフレどころかむしろ恒常的なデフレの状態を続けている*⁴という事実が、MMTの正しさを実証しています。

*⁴ あくまでもMMTの正しさをよく表す例であるというだけで、日本がMMTの主張に基づいた財政を展開しているという意味ではありません。

「自分たちが学んだ理屈が現実に合わないのであれば、その理屈の間違いに気づかなければならない」


機能的財政と国家が追及する公共目的

そもそも、例えば「財政赤字は不健全である」というように、何が健全で不健全かというのを伝統的な教義に基づいて価値判断すること自体がナンセンスなのです。
政府の財政政策は、それが実際の経済においていかなる「結果」をもたらすか、どのように作用し、あるいはどのように機能しているかという観点のみに基づいて実行されるべきです。
この原則を、「機能的財政」と呼びます。

規範的な理論としてのMMTは、国家が追及すべき主要な公共目的として、「完全雇用と物価安定」を提唱しています。

完全雇用とは、現在の賃金水準で就業を期待する人が全て雇用されている状態を指します。
非自発的な失業者が存在するということは、経済全体に本来備わっているモノやサービスの生産能力ポテンシャルが、不十分にしか発揮されていないことを意味し、社会全体で利用可能な富が失われているということになります。

例えば、道路やダムといった公共施設の建設事業によって、政府は調節的に雇用を生み出すことができます。
政府には、そうした政策を遂行できるだけの十分な「支出能力」があり、MMTに言わせれば、失業は財政政策が正常に機能していないがために生じる「貨幣的現象」なのです。
政府は、租税などによって自らへの支払い義務を定めることで、貨幣に対する需要を生み出し、貨幣を貨幣たらしめ、同時に、人々を貨幣を稼ぐための労働へと向かわせています。
つまり、失業問題の解決は、原因である自らへの支払い義務を定めた政府が追及すべき当然の責務である、というのがMMTの提言となります。

「健全財政」なるものを優先して財政支出を縮小することで、完全雇用の未達成というよりいっそう悪い結果を招くことは、果たして経済として「健全」なのでしょうか。


なぜMMTは受け入れられないのか

とはいえ、MMTとて一切の欠陥がない完全無欠の理論というわけではありません
この記事においても、MMTのエッセンスだけを取り上げることしかできませんでした。

しかし、ここまで読んだ方であれば、MMTは突拍子もないことを宣うトンデモ理論などではない(かもしれない)と感じてきていることでしょう。
MMTに則った財政であれば、日本は低成長の時代を抜け出せるのではないか、今まさに起こっている危機だってもっとうまく乗り越えられるのではないか、そんな気持ちもあるのではないでしょうか。

少なくとも、今の日本の財政・経済はこのままでは絶対に良くならないのだという点については、誰もが同意するはずです。
政治家も専門家も周りの偉い大人達も、皆それらしいことを言いながら、それらしい建前を掲げて、それらしい政策を実行していますが、はっきり言って、この数十年の間に、日本は全く成長していないし、「豊か」になっていないし、「良い社会」になっていないのです。
それもそのはずで、間違った前提の上に理論を組み立てて、その理論に基づいて政策を考えたって、スタートが間違っていればどうしても間違ったアウトプットしか生まれないのですから。

では、なぜMMTはここまで批判を浴び、頑なに受け入れられないのか。

もちろん、理論としての体をなしてからまだ歴史が浅く、それを正しく理解している人が少ないというのが最も大きいでしょう。
そういう意味では、結局は「時間の問題」なのかもしれません。
ただ、それが受け入れられるまでの過程で障害になるのは、やはりこれまでずっと拠り所とされてきた主流派経済学やそれに則った政策を、そして日常的に信じてきた「常識」を、かなり根本的な部分から否定し、覆さなければならないということでしょう。

ある物事を「正しく」否定するためには、まずその物事を「正しく」理解している必要があります
政治家だけでなく、我々も、です。
そして、そのためには他ならぬマスメディアの働きが不可欠なのですが、なんとも悲しいことに、彼らが今やっていることは、ただ誤った情報を垂れ流し続け、危機感を煽ることだけなのです。
今が「誰もが発信者になれる時代」なのだとしたら、僕らは、そろそろ彼らから報道の主導権を取り上げないといけないのかもしれません。



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