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自分と異なる他者を理解するってぜんぜん簡単なことじゃない

異文化、自分と違う文化や価値観、信仰をもった他者を本当に理解するというのは難しい。
異なる相手とやり取りをし、コミュニケーション、意思疎通をする時に、お互いに分かり合えない、違和感が生じる、齟齬をきたすような場合ってたいていお互いが、それぞれ己の価値観の物差しにそって相手のことを理解しようとしているから、分かり合えないし、お互いにおさまることができない。

本当に相手のことを理解したいと思ったとき、一旦こちらの価値観を物差しをまっさらにすることで相手のことが見えてくる。そして、自分の心を相手に近づけようとすることで、より相手のことを理解できるというか、相手のことがより見えてくるだろう。

しかし、これを実行することは、本当に難しいし大きな忍耐が必要だと思う。一旦自分の価値観と物差しをまっさらにして、相手にゆだねてみることは、恐怖を伴うし、自分のなにかを失うかもしれないという感覚がある。

一旦まっさらにして、相手の領域をみてみたあと、また自分の領域に戻ってきた時、その自分の領域に対する見方は、相手の領域を見る前と後では、確実に異なる。

それは、自分が気づけて良かったと思える場合もあるし、知りたくなかったな、余計なことを知っちゃったな、自分に必要ないなと思う場合もある。

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