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「お腹の子には、自分で性別を決めてもらう」という同僚の言葉から、これからの時代の子育てについて考えた

もうすぐ出産を控える同僚がいる。
元気にお腹の中で毎日動いているようで、たまにお腹に向かってわたしも声をかけてみたりする。そんなある時気になって、もう性別は分かっているのかと聞くと、「一応股の間にはついてるみたいだけど、性別はこの子に決めてもらうわ」との回答が返ってきて、ドキッとした。

多様性が認められつつある今の時代だが、まだまだ日本はLGBTQIA+のコミュニティにとって、生きづらいことが多いと思う。
理解されているようで、理解されていない部分があまりにも多いし、偏見や無意識の差別的発言があちこちで蔓延る。
悪気がなく、ただ知識がないために誰かを傷つけてしまっていることが多すぎる。
ジェンダーについて、時折同僚たちと話すこともあるのだけれど、まだまだ誤解や理解されていない部分が多いように感じている。
わたし自身だって、生まれてきた性別に違和感を持たず、異性を恋愛対象にもつ世の中の大半を占める部類に属すので、100%理解しているとは言い難いけれど、様々な本を読み、映画を観、そして友人たちの話を聞いて、理解を深める努力はしているつもりだ。

生まれてくる子どもの性別を、子どもの選択に委ねると同僚は言ったけれど、そのタイミングはいつなのだろか。

男子と女子という意識は、割と幼い頃から持つもので、自分は女の子で、プリンセスのようにワンピースを着るのが好き、さらに幼稚園の頃には、もう「初恋の人」がいて、友人と嬉々として恋バナしていたことを記憶している。
「自分は○性だ」という性自認と、「わたしの恋愛/性的対象は○性だ」という性的指向は違うので、自分がマイノリティであると自覚するタイミングは人によって大きく違うと思うが、性自認をするタイミングで、「あなたは男/女として生まれてきたけれど、必ずしもその通りに生きる必要はないのよ」と教えるのがいいのだろうか。
だけど、大人でも自分の性自認や性的指向について選択をしない、または迷っている人(LGBTQのQにあたるクエスチョニング)もいるので、小さい頃に選択肢を与えるのは、すごく難しいように思う。

自分の性に対して違和感を感じたときに、自分をすんなり受け入れられるような環境をつくること、または、もし近しい友人やクラスメイトが悩んでいるとき、珍しいものを見るように興味の対象として見るのではなく、「そうなんだ」と受け入れることができるようにすることが理想である。
そのためには、小さい頃から様々な人がいるということを知っておくことがまず重要になりそうだ。

黄色人種、白人、黒人など、肌の色が異なるように、様々な言語があり、生まれ育った文化や思想が違うように、性自認や性的指向、性表現なども多様化するのが人間だと、教えられたらいいと思う。

ただ、日本の狭い学校では、なかなか家庭での「ジェンダーの選択の自由」という教えが通らないかもしれない。
今の日本の学校のシステムは、男女別に並ぶ列、男女で分かれたトイレなど、家庭内のその自由な教えとは異なるものにどうしてもなってしまうからだ。
男女兼用に使うことができるトイレの設置や、男女別の整列の廃止など、古い学校のシステムをまず変えなければ、多様性はいつまでも身をもって浸透はしない気がしている。
それでも、自分できちんと理解して分かっているのといないのとでは、生きやすさが全然違うだろうと思う。
「自分は変なのではないか」「異常、病気なのではないだろうか」そんな風に思わずに、「そうか、自分はこうなんだ」とすんなり受け入れられる世の中になってほしいし、少なくとも家庭内では、自然とそう考えられるように子育てが出来たら素敵だと思う。

選択肢はたくさんあるのだと見せてあげることは、自分を救うこともできるし、自分とは異なる他人を理解することにもなる。

同僚の言った言葉に、少し希望を感じた。


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