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取り付く島があっても取り憑いてはいけない

「尊敬し目標にする、もしくはカルト的に好きな人、会社etc...」

何かに対する好意というのは時に感情をなだめたり、何かに対するモチベーション
や共通関心からコミュニティが広がったりというメリットがある。

でもこの好意が度を過ぎることは身を滅ぼすことになる。
自身の体験もいれつつこのことについて書いてきます。

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好意を抱いていた対象が、社会的信用の低下につながる非人道的な行為
(e.g.ハラスメント、違法行為など)や自分の理念に反することを為した場合、
好意を抱いていた人はどう感じるのか。私は3つの反応を考えます。

①コンコルド効果的な信仰(=擁護)
②絶望(=転向、被害者意識の芽生)
③思考停止→逃避(=好意の自然消滅)

①の擁護について先に述べるが、これは社会的批判や人道的に苦しい立場である好意の対象と同じ立場に回ることなので、同じ苦しみを味わう「茨の道コース」
となっている。この場合その人自体が「スキ」なので発言や思想、行為は二の次ということである。むしろ同じ波を渡る所属意識云々が幸福をもたらしていく。
(e.g. 宗教、熱心な政党支持者)

②はいわゆる「冷める」現象。裏切りと説明した方がいいのかもしれない。
熱狂しており、人道的にもその他云々完璧!と思っていた対象に、自身の理想に反する欠点が見つかってしまう。これまで好意を抱いていた分「欺かれた」わけだから、その分のコストが浪費になる。この事実にあった時、絶望する。
崩壊によって自身の精神や生活の営みが脅かされるわけだから、絶望からは怒りや憎しみなどの感情が生まれる。ファンがアンチになる現象もまさしくこれ。
(e.g.元社員が語る〇〇の実態的なやつ、元カノ/カレを執拗にdisる人)

そして③。①、②と比べわりかし静かに、というかフェードアウトしていく感じ。あたかも最初から好意を抱いていなかったかのように振る舞うパターンもここだ。
②と③に比べて少し違うところは、好意が②や③よりも浅いor限定的だという点。
好意の対象が意図しないアクションをした時、まず面食らう。
しかし、限定的or浅い場合、そこまで未練なく切り捨てることができる。
(e.g.ビジネスLikeでSNSフォローしてる人)


自論

①②③みて、どれがいいかな。って考えた時やっぱ③なのかなって思ったんです。
③も付け足し必要だけど。できるだけ精神的なダメージを受けないってのが私の場合念頭にあるので①は倫理的に死ぬ→社会的に死ぬ可能性否めないし、②みたいなこれネトウヨ的なね。自己選択で好きになった以上責任の押し付けは違うっしょ。

③は今考えている中で一番理想的。「この人のこの面に関しては真似しよう」とか
「この会社の思想取り入れよう」とか。程よい距離からの協力ならいいと思う。

②、③との違いのもう一つは自分のスタンスの濃度。
2つはどっちかというとベクトルが好意の対象に傾いている。けど、③はある程度自分の意思があった前提での好意なので多少面食らったところで「okay」ぐらいのテンションで割と済ませられる。

前者2つは教科書的であるのに対し、後者は参考書、そんな感じ。

「棚に上げてしゃべるな」って言われそうだけど、実は体験談から話してます。笑

自分の場合は好きだったアイドルの死です。高校生の頃は毎日MV深夜に放送している30分尺の番組をみたり、ライブにいったりして好きを満喫してました。
それが「死」という意図に反する出来事によって打ち砕かれた。
ものすごく驚いたし、悲しかった。この時に「好きに依存した時それを失った時の代償が大きい」ってことに気づいたんです。

この経験をしてからは人やものに固執や執着することはやめました。といっても、このいわば信仰癖はすぐにはやめられないので「でもこの面は少し足りないよね」とか「こう言う意見の方が自分には合うな」なんてやりながらリハビリして。


まとめ

幻冬舎の箕輪さんが文春にスクープされてます。とても「セクハラ」という言葉だけでは片付けられないような出来事。内容はともかくとして、コミュニティ作りや時代の流れを読む編集者として私は尊敬していました。

人として軽蔑するし、反省の態度は行動で示してほしい。
今回この記事を書こうと思ったのはこの一件で、彼の作り上げたサロンがどうなってしまうのだろう、と思ったからです。サロンのメンバーはどのような反応をするのか。はたまた彼の界隈はどのようなリアクションをとるのか。

まさに「これからは信用の時代」ですね。



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