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儘ならない事と向き合う。

世の中の大概の事は、多分に「儘ならない」ものや事で溢れている。
例えば「他人の気持ち」なんてものは、全くもって「儘ならない」
同じ哺乳類の人科のニンゲンという生き物としてこの世に生を受けても
育った環境、教育、出会い、愛情、その他諸々の事柄で一人として同じ思考で同じ感情で同じ生態でっていう事はない。
だからこそ、今でいう「多様性」なる言葉で納得しようとしてる。
人が生きていく(多分、群をなして生きてゆく生物は多かれ少なかれあるでしょう)中で一番悩むのが「人間関係」なんだろうと思われる。
特に人間は単純じゃなくなった「知恵」と「感情」を豊かに持った動物だからこそ、相手の考えなんてちっともわからないからうまくやっていくのに苦労する。
なんか昔は「テレパシー」なんてものがあったとかなかったとかで、心で会話していたとか??してなかったとか??
まぁでもこうして今現在人間にそのような能力が失われてしまってる所から、「人間にとって差して生きる為に必要なかったのか?」と思われる。
ともかく、人間は動物の中でもとびきり異質な生き物だと思う。
強いんだか、弱いんだかよくわからん。
精神的に複雑すぎてすぐエラーを起こすし、病原体に侵されればあっという間にGO!HEAVEN!だ。
そのくせ、身体を鍛え上げればある程度強くもなるし、環境に順応すれば病気にも罹りにくくなる。
そう考えると不思議な生き物なのだ。人間は。

で、何が言いたいかというと、「人間ってめんどくせーな」って事。
家族なんてカテゴリーで括られたら、もうそこのルールに縛られる。
親の面倒は子供が見てくのは当然。
家族は大事。
わかるけど、わからん。
自然界でそこまでしている動物はいる?
自分は詳しくないからよくわからないけど、「親ばなれ」みたいなのをして一人で生きて行く動物が多いじゃないのかね?
ニンゲンが珍しいんじゃないの?と思う。

なぜこんな事を書いてるかといえば、自分の父親の事だ。
昔から父親に対して「いい感情もいい思い出もいい愛情も」抱いたことがない。
基本的に昔から「自分本位で挨拶も出来ない嫌みしか言わない我儘で自分の意にそぐわない事があれば癇癪を起す」等数え上げたらキリがないくらい最低な人間だ。
母親にもよく暴力をふるってたし、僕ら子供にも同様だった。
そんな基本恨み辛みしかない人間を今介護しているという現実。
本人は相変わらずで「他人を怒らす事に天才的」だし「感謝の言葉も言えない」こずるい事にはすぐ頭が回り他人を利用することに長けている。
漫画でいえば「ジョジョ」の第一部のディオの父親みたいな最低野郎だ。
でも今自分は介護している。
はっきりいって心を殺してる。
自分の人生を犠牲にして介護している。

たまには「愚痴」の一つでも言わせてもらわなければ、「こっちの身がもたない」
いつでも自分の壁になるのは父親。
この呪縛はどちらかが終わるまで続くんだろう。
本当に「儘ならない」ものがこの世にはある。
非情になって捨て去ることが出来たらどんなに楽なんだろうと思う。
思うけど自分の中の「倫理観」や「正義心」に反するし、これもまた非情になったら非常に気分が悪い。
なんか「にくい者と同じレベルになってしまう」ようで自分を許せなくなる。
そこに「葛藤」がいつも付いて回る。
振り切る事が出来ない「所詮、小市民で臆病な凡人」なんです。自分は。
まぁそこが「母親ゆずり」で「けしてうまく立ち回る事が苦手な性質」で「いい所」なんだろうな。
っと自分を客観的に見てみると「やっぱり大御所にはなれない」と悟るのである。

今回はあまり気持ちのいいお話ではなくてすいません。

許せ。

つづく。

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