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産まれる場所は選べない⑤【深い傷を残した父】

最初に、今回のお話は読まれて具合が悪くなる場合があるかもしれません。過激な表現が苦手、または繊細な方はご遠慮ください。

ただ、最後は読んで欲しいです

スクロールしてみてください(*' ')*, ,)


その日、私はいつものように学童から帰っていた。季節は確か春にさしかかるまだ肌寒い日。

うちはアパートでエレベーターがついていた。いつもの様に乗りいつもの様に我が家の階数を押す。なんにも変わらない日常の風景

エレベーターのドアが開くまでは…。

ここだけ今でも鮮明に覚えている。ドアが開いた瞬間目に飛び込んできたのは壁や床一面の真っ白い粉だった。黒っぽいコンクリートは真っ白でなんだか焦げくさい。うちのアパートや地元はあまり柄がよくなかったので、私は「誰かのイタズラかな」そう思い淡々と家の方まで歩いた。途中で気付く。うちは玄関の前に階段があったのだけれど、その白い粉はうちの方へ続いてた。

少しだけ嫌な予感。また、父がなにかやらかしたのか…


玄関のドアは開いていたと思う。部屋に入ると誰も居ない。いつも居るはずの父の影もない。なんだか慌ただしく出て行った形跡があった。とりあえずランドセルを置きジュースを飲む冷静な私がいた。家に着いて5分後ぐらいだったか電話がなった。うちは後に書くかもしれないけど留守電になってから電話を出ることが多かった。

「もしもし。帰ったら家にい…」まで留守電を聞き受話器をとった。母からだった。内容は、今から迎えに帰る。要るものがあったらカバンにまとめときなさい。とかなんとかだった気がする。「また肝臓で入院したかな」私はこれといって焦ることなくテレビを観ながら母を待っていた。

しばらくして帰ってきた母は、少しだけ険しい顔をしていたように思う。無言のまま、自分の荷造りをしはじめた。なんとなくいつもと違うと感じた私は、とりあえず黙ったまま自分の荷物をまとめていた。

そして無言のまま病院へ向かう。そこはいつも入退院を繰り返していた病院とは違っていて大学病院だった。何畳だったか忘れたけど畳の部屋に通され、そこにはロッカーがいくつかあり、他にも雑魚寝をしている人が数人いた。(急変するかもしれない患者さんのご家族が休む部屋だったのかも)よく見たら、一番上の兄が真っ青な顔をして横になっていた。母だけ先生に呼ばれたりバタバタしていて、夜になり二番目の兄が来た。二番目の兄はヤンチャだったからか、父との関係はケンカしながらでも良かったように思う。

「オヤジは?!」と急いできた兄が聞いた。母は「ICUにいる。アンタはここで待ってなさい」と言われ一番上の兄と3人で部屋を出ていった。幼い私には、なにがなんだかわからず、だからといって父に思い入れもなかった私はマンガを読んでいたと思う。

その時父はICUにいた。自ら自分に火をつけたのである。おそらく、いつ亡くなってもおかしくない状況だったんだろう。全身火傷で、着ていた服を脱ごうとしたのか火を吸ってしまい(これは先生の見解)食道も焼けて移植どころか手の施しようもなかったらしい。

灯油を被り自ら火をつける。最後までブッとんだ人。最後まで迷惑な人だ。だけど、それが私の父だった。

白い粉は消化器だったんです。当時の私はなにもわからなかったんだけどね。


24時間、その人を見張ることはできない。だから、いくら頑張って伝えても自殺はなくならないのかもしれない。「死ぬ勇気があれば生きれるよ!」なんて言葉は気安くつかうものじゃない。自殺をするまで追い込まれている人は、事を起こす時、勢いかもしれないし無かもしれない。それでも、何の気なしに目に入ったもの、聴こえたもの、誰かが言った言葉で少しは違うかもしれない。だから思いとどまった方には伝えたい。「生きててくれて、ありがとう」って。

「同じ迷惑かけるなら生きて迷惑かけててよ!」

あんな父だったが、母はそう思ってたんじゃないかな。

つづく

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