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不眠

10日前の明け方、こりゃもうダメだわ、とほんのり明るくなった部屋の天井を見ていた。

その日午前4時に、クイックルワイパーをリビングで走らせていた。
日付が変わる前にリビングで寝落ちた夫が、絶対に聞こえるはずのない物音に、折り紙の蛙のようにハネた。面白かった。でもいま笑ったら、たぶんいけない、と黙った。

わたしの鍋底にこびりついた理性のお陰で、クイックルワイパーをこんな時間に持つ羽目になった。 眠れないなら、いっそ起きて掃除でもしようという、少しポジティブな妙案だと思ったのだ。

でも夫からすれば、明け方に普段やらない掃除なぞしてる妻。 飛び起きた夫を、可哀想に、と思っている自分もおかしい。 色々が、ずいぶん前からおかしい。

蛙ばりに飛び起きた夫は、時計とクイックルワイパーとを交互に見た。開口一番「寝ろよ!」と叫ぶ蛙夫。言い得てる!だけどその、寝ることが出来ないのだ。

この場面がおかしくて笑っている場合では、ない。全然ない。 明け方に掃除?しない、絶対。絶対しない。したことない。

異常事態だって自覚は、ありまくるから笑わない。


予兆はその1週間前。
日を追うごとにひどくなる肩凝りと、寝起きの血圧がいつもより低くて、布団から出るのに時間がかかった。たぶん、肩凝りのせいだ。枕が悪いのだろうと、高さをコロコロ変えてみたりした。そんなことしてるから余計に肩凝りが助長したのだと、今度は頭痛が追加されても、そう納得していた。

そのさらに1週間前には、仕事後に家事をする気力が湧かなくなった。
とは言え6時には腹ペコの子どもと、食事が唯一の楽しみな夫もいる。それに、そんな2人と食卓を囲むと少し食欲が湧くから、自分のためにもクックパッドと冷蔵庫を何回も開く。

もう何かがおかしい。時計があまりにも早く進んでしまう。夕方になると、わたしはアリスのウサギのように、進みすぎた時間を追って全速力で走るのに、女王様のパーティーに辿りつけない。何とかして9時半に子どもを寝かしつけると、今度は時計が止まってしまうのだ。毎日は少しずつがたがたと崩れた。

違和感はそんな風に、薄いカーテンから順番にかかり、いつか重たい暗幕へ。

気がつけば宵の開けぬうちに、クイックルワイパーをリビングに走らせている。

この一連の心境の先に、夫が蛙のように仰天した姿が見れるとは、やけに可笑しくて仕方ない。眠れないわたしのすっとんだ懸命さと、寝起きにも関わらず常識的すぎる夫の叫び。蛙がぴょん。午前4時の、クイックルワイパー。それが客観的に笑えるなんて、本当にどうかしてる。現実感がなさすぎる。

前向きに不眠を活用したのに、褒めて貰えない情けないクイックルワイパーを元に戻した。君は不要な理性だ。ごめんね、と。

理性の言い方を変えたら、頼み綱でもいいし、ポジティブさでもいい。

このほんの少しのポジティブが、いつもわたしのストッパーになる。そしてストッパーに頼りすぎて眠れない所まで、すぐいってしまう。諸刃の刃のポジティブだ。

不眠に陥ったことは過去にも何度かあって、たしかあれは新入社員の頃。
春に新卒で入社したITベンチャーは、秋には上場廃止となった。会社はいくつかの銀行融資の代償に、大量の営業職を手放した。そのほとんどが釣ったばかりの稚魚だった。手に職のあった小魚はそれを見越し、美しい水へと急いで泳いでいく。血気盛んな営業志望の小魚たちは、みな、新たに創設した合弁会社へ仮住まいだと言われて押し流された。そこが永遠に住処になるとは知らず。知っていたかもしれないが、どうにもならなかった。

保険証の勤務先が出向先へ変わるのは、すぐだった。
小魚たちの無言の抵抗は虚しく、1人ずつ人事担当者に別室に呼ばれ、雇用契約変更書類にサインするしかなかった。別室から出てきた同期の顔を、みな、盗み見た。腹を括って汚水を飲む同期を、アイツは魂を売ってしまったと密かに囁いた。

今思えば真面目で可愛い、世間知らずの新卒だった。

合弁会社は、エロ本がペットボトルのゴミと一緒に捨てられているような職場で、常に怒号が響いていた。突然人が消え、すぐに増える。名前を覚える暇も必要もない。終電で帰れない日は始発で帰り、数時間後にまた会社にいた。

現実と理想のギャップは果てしなく、もう取り戻す気力の湧かなくなったあの時も、しばらく眠れなくなった。夕食代わりの缶ビールと、デザート代わりの睡眠導入剤でやっと寝つき、半分寝ながら出社する。

これを続けると、するすると痩せた。いいダイエットだと喜んでいたあの明るい馬鹿さは、本当のポジティブとは言い難い。けどほんの少し、あの時の私を浮上させた。

そのちょっとの浮上を何度かやってしまうと、少しずつ自分の高度が下がっていることに気がつかないのだ。何かが起きない限り。そして何かは起きる。

ある明け方、ひどいこげ臭さと聞きなれない音に目を覚ました。目を開けると、赤い光がパチパチと鳴り、枕に丸い黒穴を描いていた。部屋はもうもうと煙り、広がり続ける円の中心に、白熱灯が倒れていた。ガラスが墨で黒くなって。

頭をフル稼働して、最適解かわからないけどとにかく水をかけた。

それでも、こんな茶色くドロドロになった枕を使うのは嫌だなぁと、まだ翌日の自分を気にした。その自分を冷静に眺め、ここが限界かも、と思った。火事で死んだかもしれない怖さより、賠償金で一家破産などろどろの未来が消えたことに心底ホッとした。
最悪を免れた!という少しのポジティブさのお陰で大義名分は満たされ、ようやく退職を願い出た。

そこまでしないと気がつかないのを、またやってしまっている。

このギリギリまで我慢する性質。いつも諦められなくて、何度も仮初めのポジティブさで浮上して、ついに眠れない森に迷い込む。

可哀想な夫は蛙になってしまった。心中察するにあまり、クイックルワイパーを走らせることも諦めた。あの10日前の明け方。

諦めよう。と、始発の電車が都心へ人々を運ぶのを見つめて思った。あの電車には乗れない。

自分でも常識外だと思う。こんなサイクルはもうやめなきゃいけない。常識を超える自分で申し訳ない。なぜこんなことになったのか、なんて無責任なことは、言いたくない。それでも眠りを取り戻したい。今までの全ての眠りを妨げた理由を、知りたい。知らないと、次が、ない。

不眠の代償は、永遠に暗い森を彷徨うウサギの刑だ。 その森の前に、わたしに元気でいてほしい家族がいる。

明け方に夫を蛙のように跳ねさせたり、冷蔵庫とスマホのにらめっこが終わらないとか、時間がかかりすぎて腹ペコの子どもがついに食パンで空腹を満たそうとするのを、眺める人ではいられない。いたくない。

わたし、でありたい。この家族はわたしの象徴だ。念願の宝物だ。ここしか守るところがない。

その一見ネガティブなポジティブさを原動力に、その日、寝ないまま始業前に社長と専務に会いに行った。ここ数ヶ月職場で起こるパワハラと、それを引き起こす、業務の回らなさを伝えた。改善できる問題だとおもうけど、わたしでは役不足で、申し訳ないと。

社長は呆気なく理解してくれた。すでに現場から特定の社員へのクレームとして声が上がっていたのだそうだ。辞めないで欲しいと、社内研修の実施という対応策を検討中なのだそうだ。
朝の1番忙しい時間に、仕事の手を止め、わたしを採用した理由を丁寧に丁寧に、話してくれた。

もうそれなら、と。反射的に、それまで頑張りますと言いそうになって、染み付いた根性論と同調性と共感性を全力で抑え込む。そのクソみたいな尻軽さを控えないから、こうなるのだ。

わたしはわたしの宝物を壊すことはできない。
登校しぶりする子ども、高次脳機能障害の義母、休みなく働く夫の、唯一のディフェンダーだ。その自負は固い。せっかく出来たわたしだけの家族。わたしのための家族だ。それをどれだけ望んできたか、あの幼い日の自分を、忘れるなよ。捨てるなよ。

自分の尻軽さで、この宝物を、壊してしまうなよ。絶対に譲れない戦いを自分に挑むような、崖っぷちにいる。悔しい。だけど、諦めるしか、ない。

一刻も早く休みたいと伝えると、いまは人手が足りる時期でもあるし、それは構わないとのことだった。

しばらくお休みをください。

誰かには当たり前に言えるセリフでも、わたしにはかなり勇気がいる。

本当は休みたいんじゃない。ここから一刻も早く、離れたい。だけどそれは言えないままだった。それでも上等だ。壊れた自分のせいで家族を失うかもしれない恐怖というネガティブさが、ポジティブに転化して初めて、自分を守る大義名分になった。大義名分?いやもうそれはわたしの生命線だ。35にもなってまだそんなところにいる。それを突きつけられて、動揺しないわけがない。それをおかしいと思うくらいの理性はある。

家族を保持することが、生きるか死ぬかの価値がある。そんなところにまだ、いてしまってる。

それでその日を境に10日間休んだ。
結果、また明け方に胸の内を吐露している。

つまり、今夜もまた、不眠なのだ。

後日談は現在絶賛進行中である。