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物言わぬ、お団子。

仕事先がお休みのため、義母の様子を見に行くことに決めた、今朝のこと。

青梅街道を北西方向に走りながら、ついでにお土産を買いに寄り道先を、決めた。 

2人分のお昼ご飯は、あのお団子やさんにした。

ここのお団子やさんはチェーン店なのだけど、義家の近くのお店をわたしは1番気に入っている。串団子は一本から買えるし、おこわのお弁当もある。それはどこも同じなんだけど、ここはお餅の歯切れの良さと、お惣菜の塩気との相性が抜群だと思っている。

少し甘くて蓬が濃い草餅に、ぽろりとした小豆がかかった草だんごは、絶対に外せない。それから、もち米の粒がさんかくを縁取る赤飯おにぎりと、昔ながらの焼きそば。我慢したのは、周りの餅の重みで中央が少しへこんでしまった切り口の、さんかくの豆餅。

2人分2人分と、念仏のように唱え、誘惑を振り切る。


ようやく義家にたどり着いたのは、家を出て2時間半後だった。

連絡もなく来たわたしが中庭で手を振るのを見て、義母は驚き笑った。顔が少し紅くなった。体調は良さそうだ。早速お昼御飯を食べようと、机にお団子と赤飯と焼きそばを広げると、義母が言った。

「ないの。お父さん、わたしには、ないの。やんなっちゃう。」

まだ新しい義父の祭壇がある部屋を指差し、義母は何度も言う。どこか虚ろな色をまとった黒目。顔色は悪くないけど、目ほどは当てにならない。

やっぱり今日、来てよかったのかもしれない。

今日は指の震えはないようで、湯呑みを持つことはできるようだけど、まだ口をつけられないと黒目は話した。先に話したいことがある、と。

「…お義父さん、枕元に立たないの?」

「そう。そう。お父さん、なにも言わないの。わたしには。わたしには。なんでかなぁって…」

こうして文字にしてみると、義母の失語症は言語野の通りが悪いだけで、言葉の素はたしかに体の中にあるのだろう。それが言語に依存できないために、その人の文脈を知っていなければ解読できない筋なだけで、コミニュケーションとしては言葉と同じなのかもしれない。今の気持ち、しかない点、わたしにはちょうどいい。

「大丈夫だよ。心配なことがある人にしか、言いたいことなんてないよ」

「そう?」

「そうだよ。長男には託したいことがあるから、色んなことが起きただけで。その息子は自分のお父さんが心配だから、色んなことを言うだけだよ。あの2人はいま、そこで支え合ってるから」

「そうなの、、、」

目をそらしながら、慎重に義母の目を捉えながら言葉を紡いだ 。義母の黒目が少しずつ雲を外していく。地面に降りてくる。もういっそ、そんな事あるわけない、などと笑い飛ばしたくもなる。堪えながら、焼きそばを皿に移した。

「そうよ。長男も、見かけで気持ちが分かりにくいじゃない。でもダメージは受けてるのよ。たぶん、わたしより、あの子の方がいま、長男のこと心配してるのよ」

「そうなの…」

「うん。でも大丈夫だよ。お義父さんは、お義母さんと一緒にいたいから。それだけでいいって、もう満足してる証拠だよ」

「そうよね」

ようやく義母はお茶を飲み、目線を机に向けた。ぐるっと見渡して赤飯を選ぶ。わたしもようやく、お昼にありつける。温めるのを忘れてしまったけど、それでも美味しい。焼きそばと赤飯を交互にほうばる。普段こんな掛け合わせの食べ方は、絶対にしない。あのお団子やさんは、本当に間違いない。

義母方の親類が来てくれた葬儀の日のことを、楽しく話して笑う頃には、ひと通り食べ終わった。まずまず食べられたんじゃないだろうか。

さて、あの草だんご。

「ねえ、これ三本あるから、ひとつ食べていい?」

「いいよ。まだダメなんじゃないかって、ダメかなって」

そう苦笑いする義母は、わたしの知らない時から、その言葉を言い続けてきたのかもしれない。よく彼女は「ダメ」と言う。言ってしまう。昔どんな風に生きていたのか。彼女の「ダメ」に想い馳せながら、串をつまんだ。

「いくらでもいつもどうぞ。あとで一本お供えしようか」

「うん」

いつのまにか、つるっと彼女の串は裸になってしまって笑った。ダメ、なんて意味ないじゃない。

食後のお茶を飲みながら、ここの草餅はああでもないこうでもないと話しながら余韻を楽しみ、欠伸が出た頃。

「ねえ、これ、ねえ」

一本残った串団子を、義母は差し出してきた。

「うん、お供え、しよっか」

「そうだよねぇ」

わたしには、その細かな気持ちまではわからない。たぶん誰もわからない。出来るだけ綺麗なお皿にうつした串団子が、とても美味しそうなことしか。

義父の遺影の前に団子を置くと、お茶碗に盛られたご飯に、箸が斜めに刺さっていた。お米は表面がカラカラで、中は柔らかかった。義母が毎朝食べている食パンが2日前より2枚減っていた。そう言えば、洗い物カゴにいくつもお茶碗が、あったっけ。

「義父さん、お腹空いてたから、喜んでるね。

、、、お義母さん、ご飯ね、毎回用意するの大変だね。

だからね、自分のお弁当が来た時に、小さなお皿に一品ずつ箸ひと口ずつ、てん、てん、って盛ってね。それを置いて、お話したり、お線香あげたらね、もう下げても大丈夫。

そしたら自分のご飯に回してもいいの。
一緒のもの食べて美味しいって思えてたら、嬉しいじゃない。ご飯同じもの食べたら、味も同じで、同じ気持ちになれるよね」

「うん」

「同じことが嬉しいよね。お義母さんが美味しいと思えるご飯は、お義父さんも、絶対美味しいって思うよ」

「うん」

「お弁当やさん美味しいところで、本当によかったよね」

「そうだねぇ」

あ笑った。

ああわたしの良心はどこにいったのかしら。あの赤飯と焼きそばと一緒に、胃の中に流し込んでしまったのかも。

お義父さんは、なにも言わないよ。
もう死んでしまったの。
もうこれからはずっとダンマリで、姿がなくて、体がないの。死んでしまったからね。

お義母さん、何も言えないお義母さん。

言葉を話せなくても、姿がなくても、わかること、たくさんあるじゃない。

わたしもこんなこと、ひとつも言葉にならないや。