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死ぬまでに伝えたいオヤジの小言   「あたり前!?って何?」


こんにちは。最近ひげが白髪まじりなダンディーなオヤジです。(笑)

今日は、「あたり前」という考えについて。


先週末スーパーで見た親子の一コマ。


小さな子供(おそらく5,6歳ぐらいかな)が食品コーナーにある冷凍の肉を触って喜んでいた。

「冷たーい!」とか言いながら。

それを見た親の一言

「何食べ物に触ってるの!」「止めなさい!」とピシャリ。

すると、子供が、

「なんで触っちゃいいけないの?」と反論。

それに対して、

「そんな当たり前なこともわからないの?」と一蹴。

子供は黙って悲しそうな顔をしていた。


我々のいう「あたり前」とか「当然とか」

それは本当にあたり前なのだろうか?

少なくともこの子供は圧力によって抑えられただけであって、

腹落ちしていない。

親の意見が間違っているわけではないけど、親にとってのあたり前と子供のあたり前は別もの。

なにせ社会のことを理解していないわけで。



でもこういうことって社会では多いよね。

「いままでもこうだったからそれが当たり前。」

「そんな当然のこともわからないの?」とか、


完全にバイアスが効いています。(笑)


仕事の関係上学生と話す機会が多いので、彼らの意見や考えを聞く際には、

こうしたバイアスはなくすことを心掛けている。

つまり、

「あたり前をなくしている。」


自分が生きてきた40年以上の蓄積による「正解」というあたり前も。

時に一瞬にして「あたり前でなくなる。」


しかし、これはこれで気持ちが熱くなる。

なにせ、過去の常識が非常識になるわけであるから。


世の中のルールや法も自分たち以前の人たちが決めたものであり、

その時の「あたり前」でしかない。


だからこそ、常に今あるべき「あたり前」を模索しなければならないと思う。


いや、でもすでに「あたり前」という言葉を使うこと自体が


「あたり前」でないのかもしれない。


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