私はかわいくないから、女の子じゃないと思っていたのかもしれない
私は昔から、女の子としての意識がうすいみたい。
最近気づいたことである。
26年間生きてきて、そういえばそうだった、程度の気づきであった。
振り返ると、小さい頃から男顔でショートヘアがよく似合う子だった。母は男の子みたいな女の子が好きなので、服装もボーイッシュなものが多かった。でも中高のスカートの制服は疑問なく着れた。中学校の頃には化粧をし始め、なつかしのSWIMMERの櫛で髪を整えていた。彼氏もいたし、高校を選んだ理由は制服がかわいいから。結構普通の女の子だと思う。
ただ時々変なことはあった。
ニュースで「この職業は男性比率が非常に低くて…」という話題になると、「え、私がなればいいじゃん!」と心を踊らせて、あれ、私女の子じゃん、解決しないじゃん、ウケる、と我に返ることはあった。
高校も大学も、クラスは女子の比率の方が高かった。私がうまいこと避けてただけかもしれないが、女のねちねちどろどろした嫉妬劇なんかに巻き込まれることはなく、平和に穏やかに過ごせた。少数の男性がいるおかげで、みんな女を保っていたからかもしれない。
なんで今更自分のジェンダーを意識し始めたかというと、今一緒に住んでいる彼氏と防犯について話していたときだった。
同棲する前に住んでいたマンションに、警察官が2人で訪ねてきたことがあった。地域の見回りだったらしい。治安の悪い地域ではあったし、二人組だし、なにも疑うことなく玄関先で5分ほど立ち話して、警察官は帰っていった。そのあと特に犯罪等に巻き込まれたり、周囲で不審なことが起きることもなかった。
「いや、やばいって。ほんと今の家では気をつけてね。」
前の家はオートロックがついていたけど、今の家はついてない。彼は、日中私が家に一人でいることも多いので心配なよう。
「ていうか、あなたって女の子としての自信がないよね。」
彼氏に不意に言われた。自信っていう言葉に違和感はあったけど、女の子であるという意識というか、自覚というかは低いのはわかってた。でもあえて口にしたことはなかった。
こうなったのにも歴史はある。小学校のころ、ショートヘアでメガネでクラス一身長が高い私が長年片思いしていた男子は、髪の毛が長くて、背はあまり高くなくて、線が細い女の子が好きだった。他の男子も数名同じ子を好きだったような気がする。
そのとき、あぁ、私はかわいい女の子のカテゴリではないんだ、と思い知ってしまった。
親や姉からかわいいと言われても信じられなかった。私が生きている小学校のコミュニティでは、私はかわいくないんだもの。
高校に入って、JRも地下鉄もバスも使って通学するようになると、私がかわいいと思う女友達は「痴漢された」「めっちゃおしり揉まれたんだけど」とかいう話をしていた。私は痴漢と無縁だったから、やっぱりかわいい子が日々過ごしている世界は違うんだなぁ、と思うばかりだった。
私が自分は女性なんだ、って初めてしっかり自覚できたのは社会人になってからだった。患者からのセクハラだ。
私も架空の話かと思っていたけど、これが結構ある。私が勤めていた部署は、体が麻痺して半分動かないとか、脳の機能が正常に働かず、欲望のまま行動してしまう人とかが入院しているところだった。
ベッドから車椅子へ移動するお手伝いをするときは、患者さんを転ばせないように体を密着させなければいけない。
「そんなに近くにいられたらドキドキしちゃう」
なんて言われた。また別の人のお風呂のお手伝いに入ったときには
「お姉ちゃんいいからだしてんな」
とか言われた。夜勤中真っ暗な病室でキスされそうになったこともある。部署の中ではめちゃめちゃ若い方だったせいだろうか。でもこのセクハラが私に”自分は若い女性だよ”と教えてくれたのだ。
それから、周囲の男性に求められるがままに関係を持ったりもした。この事象も、私に”あなたは女として必要だよ”と教えてくれた。男性たちとのよろしくない関係の数々は、私が女であるという自信を与えてくれた。
女性であるということを、セクハラで自覚し、男性との関係で自信を持った。
変な自覚の仕方と、変な自信の持ち方をしてしまったので、特定のパートナーができた平和な今は、また自分が女性であるという事実に対して意識がうすくなってしまっている。
相手を性別という枠でカテゴライズしなくてもいい世の中はとてもいいと思う。私も今後出会う人に対して、そういう既成概念なく会話していきたいなとも思う。ただ、性別のカテゴライズをしないという自分の価値観だけで生きてしまっては、まだ危険な世の中な気がするのだ。
まだまだセクハラも性犯罪も撲滅されない。
身体的な性別という枠は長年しみついてしまっているものだから、新しい価値観だけでは自分の身は守れない。
きっと彼は、そんな世の中の危険があることを教えてくれたんだと思う。変化しきっていない世の中で自分の身を守りながら生きていく術もまだまだ必要だよ、と。
私は、なるべく早いうちに、みんなにとって安全で、みんなに優しい、選択肢の多い世界になってほしいと願っている。
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