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ミャンマー応援エリアから

行ってきました。日本代表ワールドカップの初戦
アジア二次予選 相手はミャンマー代表です。

この試合を応援に来るミャンマーの人はどれくらいいるのだろう。そして、どんな雰囲気で試合を観るのだろう

それを確かめたくて行った、久しぶりの日本代表戦。
買ったチケットは、アウェーエリア。

でも しかし

出会えたミャンマーの人は 残念ながら
ひとりもいませんでした。

いやただ ひとり ミャンマー国歌の演奏の終盤
後ろを振り返ると ミャンマー人か日本人かは判りませんが
ミャンマーの国旗を持っている男性がいました。
真剣な目つきでピッチを眺め演奏が終わると雄叫びを上げたその言葉は、日本語では無かったように聞こえました。

「あとで話しかけてみよう」  そう思いましたが 

その後、彼の姿を見ることはありませんでした。

ミャンマーはサッカー熱がない国ではありません。
むしろかなり熱い!
英国統治の影響もあり、かっては東南アジアの強豪国でした
明治大正の頃、日本にパスサッカーを伝えたミャンマー人ウ・チョーディンは「日本サッカーの父」とも称されて
サッカー殿堂にもその名は刻まれています。


今日の試合で、ミャンマー代表選手は
1枚の応援の横断幕も 1枚の祖国の旗もない
そんな舞台で試合をしなければなりませんでした。

そして

日本には5万人以上もミャンマー人が住んでいるにも関わらず。まったくと言って良いほどミャンマーサッカーファンの姿はスタジアムには無かったのです。

応援をしてもらえない選手

応援に行けないサッカーを愛する人々

これは、サッカーファンの一人として本当に悲しい現実だとしか言いようが無く、席からピッチに立つミャンマーの選手を見つめていると、本当に辛い気持ちで泣きそうになりました。

2021年2月1日の国軍によるクーデターに対し、ミャンマーの多くの人々は抗議のカタチとして市民的不服従運動(CDM)で対抗しました。国軍はそんな非暴力で訴える人々に銃を向け命を奪いました。そんな非人道的、非民主的な暴力による弾圧の先に今日のスタジアムの虚無な空間があるのです。

2年前にあった、同じく日本戦での国歌演奏の時に抗議のポーズを示し日本で亡命、その後難民認定を受けて今は日本で暮らしているGKピエ・リヤン・アウンさんは最新インタビューの中で「テレビで試合も観ない、今の代表を応援することは軍事政権を認めることになる」と話します。


試合は日本代表が5-0で勝利。
ミャンマー代表はシュートを打つことすら出来なかった。

スタジアムの雰囲気は本当に楽しさで満ち溢れていた。そこに平和を疑うことは難しく。今の日本はまだその恵みを甘受出来る状態であることが確認でき、私たち自身もそこにあることを自覚できる。ただ、そんな日本であるからここそ、そうではない苦境にある隣人に気づき、関心を持ち、手を差し伸べることも大切なことなのではないだろうかと考えます。

ミャンマーとのアウェー戦は6月6日。
マカオとのプレーオフはヤンゴンで試合が行われましたが、半年以上も先の日本代表との試合会場はまだ決められない。それが今のミャンマーの現状でもあるのです。

手すりに囲まれた三角形の狭いアウェー応援席
ミャンマーを示すグッズは何もなく日本人のノンビリ観戦席でした。



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