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俺的に正解(わたしそういうの好きよ)

今日も暑いですね。

暑すぎてクーラーがない部屋のために、慌ててクーラーを注文したのですが、夏になってからクーラーを買おうとする奴なんてバカじゃ無いの、そんなん暑くなるのは何百年前からわかってるやん、計画性のないアホのすることやわと思ってたら自分がそうなっていたって、そういうことありませんか皆さん。

さて、そういう事も含めてですね、世間一般からしたらイケてないことでも自分的に笑えるやん、ええやんそれ、っていうことありますよね。

逆も然りで、世間的にはダメダメっぽくても、自分としては最高にクールな出来事ってあるよね。

例えば、めっちゃ記憶力がなくて、自分の言ってたことを全然覚えていない人がいても、それが尊敬するアーティストとかだったら「うわあ、さすが〇〇さんやなあ。そういうのがイカしてるよね!」みたいな話ですよ。

これが、自分に害が及ぶ同僚とか、親戚とか、とにかくリスペクトしてない人とかだったらもう「あいつまた忘れてるわ。まじ死んでほしい。」ってなるよね。

そう考えると出来事ではなく、誰がやるかによるってことですよね。


タイトルの話に戻ると、自分的にはこれ最高って思えるってことは

つまり自分で自分が好きかどうかなんですよね。

これはひとえに幼少期の自分の扱われ方によるんだろうな。


子供の頃、間違ってようが何しようが、「〇〇ちゃんすごいね!さすが!」って育てられた人はどんな失敗しても「はは!笑えるこれ」って思えるんじゃないかな。


何やっても「〇〇ちゃん、これはこうやるんだよ」って訂正された人では、やっぱ自分がやったことがどんな正しくても「本当にいいのだろうか」って思っちゃうんじゃないかなあ。


この話を読んで「いや、そうとは限らないぞ」って思った人は間違いなく後者の育ち方をした人だ。これは断言します。


まあ、僕の場合は割といい意味で適当に育てられたので、何か普通の人なら凹むようなことがあっても「まあ別に大騒ぎするほどのことじゃないよね。死ぬわけじゃないし。」って思えるのはやっぱそういう事だろう。


なので、どう抗ってみても、育てられた過去を帰ることはできないので、それすらも楽しもう。

自分が楽天的かどうか、最高かどうか、それは育てられ方によるものなんだからあまり気にしてもしょうがないや。どうしようもないなら開き直るしかない。


それが正しいかどうかは俺が決める。

楽しいかどうかは俺が感じる。

それが優しいかどうかは俺次第。

それが可哀相かどうかも僕がどう思うかだな。

えー、それやるのどうしようかな、そん時の俺が決めるわー

みたいな。


全部、自分で勝手に自由に気分次第で決めることだと思ったら、ちょっとは気が楽になりませんかね。

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