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退職後の近況記録(2018年11月~12月)

この頃には就活で訪れる訪問先も、少し旅行気分も兼ねて考えるようになっていました。
というのも、自分はこれまであまり旅行というものをしたことがなかったので、ここぞとばかりに。

東京の某病院、ここはすごく先進的な病院であり、医療そのものというよりは『病院も株式会社の意識を強くもたねばならない』というポリシーの下、これまで他が行っていないような地域での活動やAI等を使用した快適で過ごしやすい施設環境に企業連携で投資したり、海外での病院設立を行ったりと、本当におもしろそうな事をしているということに惹かれました。

ここでの応募は看護師ではなく、プロジェクトのスタッフ。

書類がめでたく通過し、東京を目指していく最中に敢えて埼玉観光を経て行きました。(写真は埼玉県所沢市です)

ここの一次面接は、面接に加え筆記試験と資料作成試験というもので構成されていました。
筆記はいわゆるSPIに近いもので、8月に経験があったため比較的あの頃よりは出来たなと。

資料作成試験はテーマに沿ってプレゼン資料を作成するというもの。
テーマは問題なかったですが、後の面接でそれを使用してプレゼンしろとのこと、聴いてないよと思いながらもまあ出来るかな、と安直に考えてました。

いざ、面接。
これまでと異なり、顔ぶれを見る限りは,
『比較的若い層』『現場スタッフの監督様の方々』の様相に。
自己紹介など、ある程度キャッチーなやり取りを行う中で面接官3名の内、正面の女性の表情が終始気になりました。
なんとなく、
『ああこいつ、長々としゃべりやがって。なんかバカっぽいな』
みたいに思われている感覚がずっとありました(被害妄想か?)

なんかわかりますかね?
自分が話していても、どこか冷めたような、興味がないんだろうなとか、
そんな風に感じる時ないですか?相手と話していて。

まさにこれを感じました。終始です。恐怖です。

面接内容に戻って、
三人の面接官はそれぞれ元は医療専門職だと。
ST,MSW、PTからの事務長、
やっぱ面白い病院やなと思うと同時に、医療専門職が自分達の専門性の土壌の上にまた新しい活動の場を作って頑張っているということに、すごく感銘を受けました。

そして、痛恨の質問、

『自分が予算をもったとして、何がしたいか?』

この質問をされました。
考え込んでしまい、まともに返答できませんでした。
プロジェクトというものは、そりゃそういうことなんだろう。
なんとなく、『こんなだったらいいな』みたいなことは頭にはあったけど、
自分が、『こんなんしたい』っていうのは、まだないんだろうなと、また落ち込みつつ、
「ああ、これはまた落ちたな」
と、その場で敗戦を感じるに至りました。


帰りは、八王子の『いきなりステーキ』でステーキ500gを焼け食いし、
新宿からの山手線の帰宅ラッシュに巻き込まれ、閉所恐怖症の自分は5駅間の池袋までたどり着くことが出来ず、動けないことにパニックと冷や汗を起こしながら2駅で下車。
高田馬場駅から池袋サンシャインバスターミナルまで歩いて帰ることにしました。
だめだ、やっぱり電車通勤は出来ない。

んで、ビール片手に夜行バスで帰りました。


これを機会に、本当に自分がなにをしたいのかを今一度考えて整理してみようと思いました。
退職までして、自分がしたかったこと。
確かに、広告会社でのコピーライター業務やAIなどには興味を持ちました。
ただ、それもこれも、急に出会ってそこまで深く考えずに飛び込もうとした世界。
こんな浅い考えで、信用してくれるような甘い企業などないだろうと。


で、本当に自分がやりたかったことを考える。
キーワードは
『組織』・『人材育成』
そして、『医療』


コア・コンセプトは


『医療現場を楽にしてあげたい』

・・・

ああ、これだった・・・

続く

いつも読んでくださって感謝します。 医療業界のアグリゲーターになれるように頑張ります。