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いつもある日常の、誰かと食べるごはん


今、家族と夕食を食べた後なのですが

お肉と、スープと、ご飯と、サラダを食べました

私は多分自分でわかっているけど
きっと全部失うことで自分の小ささと
どんなことにも感謝が当たり前であることを
ヒシヒシと感じさせるためにいろんなものを失ったんだと思うのです

例えばね

今あるお家がなければ冬は凍死するかもしれない。

家族が私を迎え入れてくれなければ
今人生どうなっていたか、想像もつかない。

去年の今頃
シェアハウスに住んでいたんだけど

今までずっと兄弟で住んでいたから
誰かと食べるご飯が当たり前だったから。
シェアハウスのみんなが帰ってくるあたりの時間が好きだった。

あの頃の、コロナが始まって
みんな人と繋がりたくて
みんなで肩を寄せ合っていて暮らしていた数ヶ月が
私の人生を変えた一つの要因で。

本当に出会いに感謝と、思い出の一つです。

何にも本気にならないで
これも違う、あれも違うってどうしてなってしまうのか。

ご飯を食べながら実は
ずっとずっと、ありがとうって一口噛み締めるごとに思って、
泣きそうになりながら食べていた。

だって、家族とご飯が食べられることって幸せだから。

一人で食べていたら、
自分を大事にできなかった去年の今頃。

常に誰かのために生きていて
全部手放したら、自分を大切にするやり方がわからなくて
一人で食べるご飯って大事にできなかった。

今まではずっと、手料理毎日作っていたのに。

自分にはご飯を作ってあげることさえしなくなった。

ご飯も食べられなくなるくらい精神的に崩壊していた。

だから、食べ物が喉を通ることすら
去年の私からしたら、嬉しいことだった。

当たり前に今、家族と笑ってご飯が食べられていることと

いつも私を突き放すようなことを言うお父さんが言う言葉は
私をいつも成長させようとしてくれていたこと、

それはお母さんも実は知っていたこと、

もう、今涙でぐちゃぐちゃだ。

私はコロナ渦で肩を寄せ合って生きてたシェアハウスでもコロナが蔓延してしまって
仕事も退職してて、これから一緒に生きていこうとしていた当時の彼氏との暮らしも無くなって
ちょっと先にあった未来が全部崩れて、管理職の仕事もやめていたから後にも引けなくて。

それでも家族は迎えにきてくれた。

私どんだけ幸せものなんだよ。

今日はどこまで泣けばいいんだろう。

本当にずっと出会ってきた人全て、

私が真冬の夜中3時くらいに偶然のったタクシーのおじさんに言われたこと

こんなに若くて未来があって、なんでもできる
ポケットに一億だよ

って言われた。

そのタクシーに乗る前も
仕事先の方で私の話をずっと聞いてくれて
あったかいうどん食べさせてくれた。
人と食べるから食べ物が喉を通った。

いろんな人に
なんにもないズタボロの私は救われて生きてる。

あまりにもあの時の私はずたぼろだったの。
人と比べることはできないけど。私にとっては。

タクシー止めて数十分運転手さんにとってどんな時間だったかわからないけど
私は、タクシー降りた後、
夜中の寒ーい空見ながらポケットに手を入れて、泣いた

泣いてないふりで誰が起きてるかわかんないシェアハウスにこっそり帰った。

その灯りも、私、好きだった

何かあったらお兄ちゃんみたいにしてくれたみんなのおにいちゃん。
みんなとお別れする時
みんなみんな見送ってくれた。

割とみんなもう、全国に飛んで行った。

去年の私が今の私見たら
どんだけ幸せものだよ!!!って思うと思うの。

それと同じように多分このまま
来年の私も、ちょっと先の私笑ってたらいいな。

というか、

どんだけ幸せになってんだよ!!って言わせたい意気込みだぞおおお!!



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