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中野信子著『ヒトは「いじめ」をやめられない』がすごい

中野信子著『ヒトは「いじめ」をやめられない』は、脳科学者・医学博士・認知科学者ならではの視点からいじめのメカニズムや教育的な対応について書かれている本です。

いじめについて書いている本は、カウンセラーや精神科医、当事者などの経験談をまとめたものが多いです。もちろんそれも悪くはないですが、どうしてもその人しかできない対応や感情論が多く含まれてしまうので、いじめの対処・予防に有効なのか疑問でした。

『ヒトは「いじめ」をやめられない』は、脳科学者ならではのロジカルな視点でいじめに関する考察がされています。いじめや社会の心理についてきちんと理解したい・対応したいと考えている人におすすめです。すごく良かったので、特に心に残ったポイントをできるだけ簡潔にまとめていきます。

いじめは種を残すためのシステム

人間が生き残るためには、強い社会性が必要
人間は、弱い生き物です。野生の肉食獣と一対一で戦っても、まず勝てません。武器を持っても、女性や子供、少人数では勝てません。また、ただ集団を作るだけでは、他の動物と変わりません。

人間には他の動物にない高度な社会性があったからこそ、種としてここまで発展できたのではないかと考えられています。もちろん集団で協力して狩りをする生き物もいますが、何年も何十年もかけ何万もの個体が協力して、1つの複雑な目標を達成することは、人間にしかできません。

今の人間に特別高い社会性があることは、私たちホモサピエンスが、ネアンデルタール人やホモ・ハビリスと比べて前頭葉が大きいことからも推測されます。特に大きく発達している前頭葉の前頭前皮質は「思考・共感・創造・計画・行動・自制」など社会行動に必要な機能をつかさどっている部分です。

これが大きく発達している今の人類が生き残ったということは、ヒトが種として存続するためには、強い社会性が求められるということです。

ヒトにとって、集団を乱す者は脅威になる

高い社会性を武器に生き残ってきたヒトにとって一番怖いのは、集団を内部から乱す人間です。外部の敵も怖いですが、外に敵がいると内部の結束力が強まるので、それは一概に「嫌なこと」とは言えません。

「集団を内部から乱す」というのは、集団生活に十分協力しないという意味です。集団生活は、お金・労働・時間・情報など、個人の資源を集めることで成り立っています。

しかし、集団に資源を提供しないのにみんなと同じ利益を得ている人間がいると「働かなくても生活できるなら、もう動かんとこ」という人が増えます。こうなると内部から集団が崩壊してしまうのでとても危険です。集団に貢献しない人間がいたら、制裁する必要があります。

でも、人を制裁すると復讐される可能性も

集団に資源を提供しない人間を放置すると、高度な社会性が内部から崩壊し、種が絶えてしまうかもしれません。そのため、さぼる人は制裁したいのです。

ただ、人間を制裁するにはそれなりのリスクがあります。体が小さい人・行動が遅い人・太っている人・気が小さい人など、身体的に弱い人や反抗しない人がよくいじめられるのは、復讐されるリスクが低いからだと考えられます。

いくら集団から逸脱していても、自分よりも体が大きくて喧嘩っ早い人をいじめる人はいませんね。

仲良し集団はいじめが発生しやすい

「さぼる人を制裁しよう」という行動があるのは「集団を守らないと」という義務感、集団への愛を持っているからだと言えます。つまり、いじめは、そこに人間の集団があれば必ず発生するものなのです。

この制裁行動自体は、悪いことではありません。ただ「集団を守ろう」という意識が強く働きすぎて制裁行動が過剰になるのは問題です。

外の集団へ無条件に敵対心を持ったり不当に低く評価したり、集団を守るために発生するはずの制裁行動が発生するべきでない時にも起きてトラブルになったりする可能性があるからです。

例えば正しくあろうとするあまりに、ルールを「破ろうと思って破った」人だけでなく「知らなくて破ってしまった」だけの人まで攻撃する可能性もあります。こういった理由から、決まりをきちんと守る「はみ出し者を許さない、しっかりした」集団はいじめが発生しやすいと考えられます。

「体が小さいのでクラスの役に立たなそうに見えた」「周りと少し違う格好をしている」「みんなより少し可愛い」など、学校で起きるいじめは、まさにこういった異物感が原因になっていることが多いのではないでしょうか。

「愛情ホルモン」オキシトシンがいじめを発生させる

「オキシトシン」は、愛情や親近感を感じさせる脳内物質です。分娩時に子宮を収縮させたり産後に乳腺を収縮させたりする働きが広く知られていますが、女性だけでなく、男性もごく普通に分泌しています。

スキンシップをとったり目を見て会話したりすることで幸福感や仲間意識を感じるのは、オキシトシンのおかげです。仲間意識を持って集団行動を行う上で、欠かせないホルモンなのです。

ただ「過ぎたるは猶及ばざるが如し」ということわざがあるように、オキシトシンが過剰に分泌されるのはよくありません。「集団を大切にしよう」という気持ちと「仲間を選別しよう、要らない人を制裁しよう」という気持ちは表裏一体だからです。

これが「仲良しの集団の方がいじめが発生しやすい」という、やるせないジレンマです。

「仲良くしよう、いじめを無くそう」は逆効果

グループの仲が良すぎて集団への愛着が過剰に高まると異物を排除する力が強くなります。

「いじめのない仲良し学級を作ろう」と生活や学活の時間に子供を自由に遊ばせる先生もいるかもしれませんが、いじめのリスクを低めるためには、ただ自由に遊ばせるのではなく、しっかりグループ分けをする必要があります。

普段触れ合わないクラスメイトと触れる時間を作れば「いつものメンバー」の結束力を適度に薄め、風通しをよくすることもできるでしょう。

学校教育では「クラスの団結力」「軍の団結力」「学年の団結力」「地域の団結力」など団結力を示すことを求められることが多いです。

しかし、団結すればするほど中にいる人をいじめやすくなり、外にいる人を攻撃しやすくなるのです。語感の良さだけでなく「団結」を強要する意義やデメリットを考えて見て欲しいと思います。

日本人の同調圧力が強い理由

「見ているとなんとなくイライラする」という理由でいじめの被害にあう人も一定数います。これは、みんなの楽しい空気を壊すなど、集団の和を乱す「空気が読めない人」の可能性が高いです。

ただ、空気が読めない人はその自覚がないので一度いじめられても改善できず、教師や仲良しの友達でもサポートしきれず持て余されます。いじめの被害者なのに「お前も悪い」と言われるケースが多いでしょう。こういった理不尽にはあいたくないですね。

もともとリスクを高く見積もって行動する傾向がある日本人は、こういった理不尽な制裁を避けるため過剰に空気を読んで同調圧力をかけあい、少しでもそこから外れた人、空気が読めない人を制裁しようとします。

そもそも、なぜ日本人はこんなにも同調圧力が強いのでしょうか?

日本人は「安心ホルモン」セロトニンが少ない

セロトニンは「安心ホルモン」と呼ばれるホルモンです。多く分泌されているとリラックスして満ち足りた気分になる一方で、セロトニンの分泌量が少ないと不安を感じやすく、リスクを計算して慎重になりやすい傾向にあります。

セロトニンは、分泌した時に使いきれずに余ります。余ったセロトニンを使いまわす能力が高いほど多少のリスクを気にせず行動できる、おおらかで楽観的な性格になるのです。

余ったセロトニンを使い回してくれるタンパク質の量は遺伝で決まるのですが、日本人はこのタンパク質が非常に少ない傾向があります。このタンパク質を少なく作る遺伝子を持った人が80%を超えているのです。

世界29ヵ国でこの遺伝子を持つの割合の分布調査がされましたが、80%を超えるのは日本だけ。例えば、アメリカではたった43%しか存在しなかったそうです。

リスクに敏感で慎重で心配性な人間がかなり多くいるので、少しでも集団から外れたことをすると「あいつは危険かもしれない」と思われ制裁される可能性があります。

そのため、みんなが空気を読み合い、けん制しあう同調圧力が強まっていると考えられています。

正義はいじめを発生させる

いじめは快感!

自分が所属する集団を守るためとはいえ、人を攻撃して制裁するのは勇気が要ります。反撃される可能性もありますし、人を攻撃している間は自分の仕事が滞るからです。自分のことだけを考えれば、周りの人間を制裁しようなんて考えない方が得です。

また、理性では子供でも「いじめはいけないこと」だと分かっています。親や先生に怒られるリスクや、いじめが発覚してネットで叩かれ、社会的な制裁を食らう可能性もあるでしょう。

それなのになぜ周りの人間を制裁するのかというと、人をいじめている時は快感物質の「ドーパミン」が分泌されるため、理性では抑えきれないからです。

ドーパミンはオキシトシンやセロトニンと同じ神経伝達物質です。分泌されると脳のいろいろなところが快感を受け取ります。

ドーパミンが特に強く働く部分は「生きていくために必要な部分(食事)」「子孫を残すために必要な部分(セックス)」です。ダイエット中、理性では「これ以上食べちゃいけない」と分かっているのに食べ過ぎたりしてしまうのは、食事中にドーパミンが分泌され、正常に理性が働かなくなっているからです。

いじめも同じで「やってはいけない」と分かっているのに理性が働かなくなってしまいます。つまり、人間社会における「制裁」は、ヒトという種の存続にそれだけ重要なことだったということです。

正義感がいじめを悪化させる

他の人間を制裁している時、ドーパミンが出て快感を得ます。ただ、この時のドーパミンは種の保存のためだけに分泌されているわけではありません。

ルールを守らない人間に罰を与えれば、食欲や性欲などの原始的な欲求よりも次元の高い、承認欲求などを満たすことに繋がります。

いじめの多くは「集団から外れている(間違っている人)を正す」という気持ちで発生します。間違っている人を制裁して「自分は正しいことをしている」と感じることで快感を得てしまうのです。

「クラスの異分子を制裁する」という正義感からいじめが発生すると、いじめをやめるべきだという理性よりも「悪いものに制裁を加えるべき」という本能が強くはたらくので、攻撃が止まらなくなります。

加えて人間は集団にになると思考力が低下し、個人の理性では攻撃性を抑えることができなくなるので、学校でのいじめはとても鎮火しにくいのです。

「いじめ0」は目指さない方が良い

「いじめ0」というスローガンが毎年小中学校で使われています。しかし、いじめは実際に発生していますし、教師や教育委員会の調査はいつも非常に遅いです。子供同士のいじめにしても、教師同士のいじめにしても、本当に原因を究明して再発防止に務める気があるのか疑ってしまいます。

文部科学省の『児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果の概要』では、いじめの発生件数や重大事態の発生件数を確認できます。

平成30年度だと、いじめの発生件数が小中高合わせて543,933件、いじめの重大事態の件数が小中高合わせて602件です。

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参考元:平成30年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果の概要

こうした情報がデータ化されているのは良いことですが、このグラフを公開することで、いじめの認知度や重大事態の件数を上げたいのでしょうか? 下げたいのでしょうか?

「いじめはない方が良いし、減らすべき。でも、発生したら報告してほしい」というのは、両立しえるのでしょうか? 

だって「いじめ0」というスローガンを掲げている以上、いじめが発生したら担任教師や学校の評価が下がることになります。

「いじめ0」というスローガンを掲げているうちは「いじめが発生したとしても無かったことにしたい」と感じる教師が減らない気がします。いじめを無くしたいという社会のモチベーションを本当にあげるべきだと思っているなら、もっとほかに唱えるべきことがあるのではないでしょうか?

いじめを直視し、実現可能な施策を

いじめは種の生存のために必要な行動の1つです。「一部の、性格が悪い人間がすること」ではないし、完全に無くすことはできません。

これだけ社会問題になり傷ついている人間が多くいる以上「なんか分からないけど、閉鎖的な場所に子供を詰め込むと悪い子供が暴走するっぽい」「みんな仲良しになれば、いじめは無くなるよね」というあやふやな認識・対処はやめるべきだと思います。

いじめを否定するのではなく、直視してメカニズムを知り、根本的で実現可能な向き合い方を、そろそろ考えて行く必要があるのではないかと思います。

「普通の人なんていない」と思っています。人間みんな変人なんだから、無理して普通の枠に収まろうとしたら生きづらいのは当たり前。みんなが生きやすい世の中を、人生かけて追求します。 アイデアは無限に出るんですが、お金が足りなくて(笑) 良かったらサポートいただけると嬉しいです🤗