見出し画像

ほんらいの自分で生きるために

最近、初めてのデートの場所が湖だったというお話を2人の方から聴きました。

” みずうみ ” は、もちろん私だけのものじゃないけれど、誰かの口からみずうみという言葉を聞くと、ちょっとドキッとします。

みずうみを始めて2ヶ月になりました。
8月にみずうみに来てくれた方、ありがとうございます。

みずうみの理念は、「自分の本心に沿って生きる」なのですが、自分の本心に沿って生きるために必要なものがあって。

自尊心の話。
きのう、寝る前に読んだ本のフレーズに、こんな言葉がありました。

ところで自尊心を語るときに、忘れてはならないことがあります。自尊心は、なんらかの成果を自分の努力の結果として認めたり、他者からそれを肯定されたりしないと育たないということです。なんで私がそれを知っているかというと、自尊心を育てた経験があるからです。

ジェーン・スー「女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。」

自尊心って、他者の評価ではなく、自分で自分にOKを出せることなのですが、スーさんの言葉を読んで「たしかに、そうかも」と思いました。

現在の私は、深いところでは、「私は、大丈夫です」という感覚がある。

それって、なんでだろ?と考えてみたら、私が何をしても見放さない人が現れたり、仕事で成果を出せたり、誰かに好きと言われたり。そんな風な成功体験で、他者の「OK」を積み重ねてきたことも一因してるのかなと思いました。

さて、「自分の本心に沿って生きる」という話。

これは、本来の自分で生きるとも言い換えられるけど、自尊心が低い状態だと、それをするのはむずかしいんです。

かんたんに、周りの期待や課せられた役割を演じて、自分の本当の気持ちを我慢しちゃう。

なんでかというと、自尊心が低い(自分で自分にOKを出していない)状態って、自分の目に傷ついたフィルターがかかっているんですよね。フィルターというのは、自分らしくない価値観や思い込みのこと。

そのフィルターがかかったまま自分の本心を見ても、行動に結びつかないことが多いんです。

自分らしくない価値観や思い込みって、呪いのお札のようなものとも言えて。
お札に書いてある言葉はその人それぞれで、たとえば、「私は誰からも愛されない」とか「これをやったら親が悲しむ」とか「私にはできない」とか。

そのお札は、本来の自分で生きるための行動をしようとする時、足を引っ張ってくる。

呪いのお札が付いたままだったら本当の自分じゃない。私も今まで、「そこにお札があるよ」って教えてもらったり、教えてあげたりした。

そういう他者との関係性・やりとりが、自尊心を育てることにつながっていくのだろうと思ったのです。

そして、そもそも「自尊心が低い」状態があるとしたら、それって、子ども時代の経験がとても影響してるんですよ。親に、先生に、友達に言われて傷付いたこと。逆に、言ってほしかったのにもらえなかった言葉。

自尊心の低さに他者が関係していて、けれども、自尊心を育むためには他者が必要。

人間っておもしろいなと思います。

どうぞ安心して、自分に正直でいてください。

みずうみ
https://mizuumi1980.com/

お金との交換をありがとうございます。表現活動の励みになり、とてもうれしいです。