物欲の背後にあるもの

躁と鬱を繰り返していた一年半、手当たり次第に物を買った。給料は使い果たしたが、残り少ない貯金が完全にゼロになる前に寛解してくれて良かったと思う。
時々、双極性障害の人がお金の使い方を巡って家族とトラブルになるという話をきく。一般的には躁のときは浪費が多く、鬱のときはお金を使わないというが、自分はそうでもなかった気がする。(※私は双極性障害Ⅱ型です。)客観的に見れば、あれは浪費だった。けど、その渦中では楽しいショッピングという気持ちではなくて、なんとかその時の状態から抜け出そうと、物に縋っていた。

おびただしい数の本を買った。
まずは病気に関する本。お医者さんの書いたものだけでなく、家族向けの参考書や、当事者のエッセイも読んだ。これから自分がどうなるのか、どうすればよくなるのか、少しだけでも見通しが欲しかった。
ご飯が食べられなくなったときは、なんとか食欲を取り戻そうと、きれいな食べ物の写真が載ったレシピ本やグルメ雑誌。死にたくなったときは、どこかに行きたいと思えるようになりたくて、旅行雑誌やファッション誌。とにかく、生きていてもいい、生きていたいと思えるようになりたかった。
仕事だけでも頑張らないといけないと思って仕事関係の資料や参考書。実際に職場にはいけないから、せめて勉強しようと思った。ほとんど読めなかったけれども。
ストーリーのあるものが読めなくなっていたので、どこまで回復したかを試すために漫画や小説も買った。寝たきりのときは紙の本が持ち上げられなくて、kindleやnoteで漫画やエッセイをたくさん買った。

ご飯を食べられなくなって、一度飢えて動けなくなってからは、どんどん食べ物に使うお金が増えていった。 
お肉を食べれば明日こそ元気に仕事に行けるんじゃないかと思って、鬱のどん底のときに初めて一人で焼肉屋に入った。翌日は、疲れて寝込んだ。
日中は体が動かなくて、夜になって空腹で眠れなくて、コンビニで割高なレトルトを買った。仕事にいかれないから、ファミレスで作業しようと思ってドリンクバーを頼んでも、食べ終わるとものすごく疲れてすぐに出てしまうことがほとんどだった。
スーパーで野菜やお肉を買ってきたら、それだけで疲れきって1週間寝込み全て腐らせることを繰り返した。

体が痛くて眠れなくなって、辛くて辛くてマッサージチェアやクッションを買った。首が痛くて枕を何個も換えて、それでも全然眠れるようにならなくて、マットレスを買いかえた。身だしなみも整えられなくなって電動歯ブラシを買った。これは正解だった。

新しい服や化粧品を買えば、やる気が出て仕事に行けるかなと思った。普段化粧なんかしないことは忘れていた。

記憶力が衰えて、中身の見えない収納が使えなくなった。蓋を閉めた瞬間に何をやっていたかわからなくなり、蓋に物の名前を書いたシールをはるために、シールメーカーを買った。でも、しばらくすると物の名前を見てもイメージできなくなり、結局収納用品はほとんど透明なものに買い換えた。

職場に行けず、被害妄想で家にいるのも怖くて、壁のある静かで暖かいネットカフェに何日も家出した。ご飯もそこで食べた。

主治医のいる病院は隣の県にあり、ひどいときは毎週通った。本数の少ない駅から病院までのバスに間に合う時間に起きられず、いつもタクシーだった。県が違うので、障害者手帳についているタクシー券は使えなかった。

そうやって少しずつ寛解に近づいてくると、前ほどお金を使わなくても大丈夫になったことに気がついた。
すっからかんになったけど、生きていられて良かったと思う。良かったと、思えるようにこれから生きていきたいと思う。

もし、家族が双極性障害とか鬱になって、お金の使い方がおかしくなってきたら、速やかにカードと通帳を没収してお小遣い制に移行するとともに、「モノが買いたい」の背後にあるものにも、少しだけ思いを馳せてもらえたらと思う。モノでなくても解決できることが、あるかもしれないから。

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