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【読了 2024 No.22】細谷 功著『具体⇔抽象トレーニング』(PHPビジネス新書)読了

「個々の事象の間に法則性を見つけることで、実際に経験していないこともある程度は予測ができるようにな」る。

これがこの本から得た最も大きな提言である。

歴史を学ぶことの意義はここにある。

だが、私はあまりこの著者のことは最後まで好きになれなかった。

著者は【読了 2024 No.11】と同じであるが、

著者は、「不毛な議論や無用な軋轢」が起きてしまうメカニズムに関心が高く、その原因は、「具体と抽象が混同されていること」と考えている。

より具体的に言えば、「客観的な一般論(抽象的)」に対して「主観的かつ個別的な(具体的化け過ぎる)反論」が起こり、「不毛な議論や無用な軋轢」が起きてしまうのだという。

この著者が好きになれなかった理由は、著者が「不毛な議論」「無用な軋轢」が起きてしまうメカニズムの解明には熱心だが、解決や回避には興味が無いというか、諦めているように感じられてしかたなかったからだ。

【読了 2024 No.11】を読んだときから気になっていたのだが、本職はビジネスコンサルのはずなのに、具体的な「実例」に基づくらものが全く出てこなかった。この著書では、最後の最後に著者自身が「実例」を示す意味は無いことを語っている。

実例に関する著者の考えには全く賛同できない😤本職のビジネスコンサルとしての情熱を失っているとしか感じられない。

その点では【読了 2024 No.17】の『社長、クレーマーから「誠意を見せろ」と電話がきています』(プレジデント社)の著者島田直行氏と対照的である。

所詮、抽象的な思考のできない者はできないのだという諦念と見下しの視線がこの本全体を覆っている。

気に入らない著者の本ながら、二冊も読了したのは、「具体」と「抽象」を行き来するトレーニング方法を学びたという切なる思いがあったから。

抽象化ができない生徒に抽象化の定義を教え、抽象化できる力をどのようにしたらつけられるか?を日々悩んでいる。

きっかけは、東大の日本史の問題の研究である。

東大の日本史の入試問題は、各予備校の解答速報の解答例が、かなり散らばる。

これは出題の意図、東大側が求めているものが分かりにくいからなのだろう。

東大は暗記力を問うていない。

使う史実は、提示されるのだから。

結局、その提示した史実を、時空を超えて通用する普遍的な歴史のセオリーにまで昇華させた説明をさせようとしているようだ。

要するに、高度な抽象化を求めているわけである。

私が教えている生徒は、東大志望ではない生徒ばかりである。でも、やはり受験生である以上、彼ら、彼女らは東大の問題には関心がある。

そこを解説してみせることは彼ら彼女らの学習のモチベーションアップにつながる。

そのような気持ちで格闘しているうちに気づいた。

幼い頃から日本史に親しんできた自分は、歴史的事件や事例、制度などをいかに無意識に抽象化して捉えていたかということである。

もう少し詳しく言えば、他の時代の事例に共通するようなセオリーに迄、無意識なうちに昇華化して、インプットし続けてきたかということである。

人間社会に共通するセオリーにまで抽象化できたから、複雑に見える制度もシステムもすんなり理解できたし、細かいことも相互に関連づけられたからこそ、無理なく覚えらてこられたのかも知れない。

その本にそこまで書いてあったわけではないが、そう気づけたのは、この本をなんだかんだ言って読了しからだろう。

これからも私は、できる限り歴史的事件や制度を抽象化、セオリー化した上で生徒に提供し、歴史を学ぶことは、突き詰めれば、人間社会のセオリーを学ぶことなのだと伝え続けようと思う。

現代社会の問題の多くも、その雛形は歴史の中にある。

それを具体的に伝えられたら、抽象化することの意義を生徒に分かって貰えるだろう。

「抽象具体」の行き来のトレーニングについては、本にだけ頼るのではなく、自分自身がそれをテーマとして見据え、実例豊富な著作を書ける位、精進していきたいと思った。
勿論、固有名詞等は替えて、出てくる生徒が誰なのかは、特定されないように工夫するのは言うまでもない。


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