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その生命体に、愛が芽生えるまで

得体のしれない生き物を育てている。
それを初めて見たときは、正直に言うと気味悪いと思った。
オレンジ色の液体に浮かんでいて、時にぷくぷくと泡立っている。
触れたことはないけれど、きっと触れたらぷにぷにしているだろう。
生きているらしい、しろく、まあるい有機物。
ちょっと深海生物みたいだ。
目に見える動きはなくても、たしかに呼吸をしていて、少しずつ成長している。
私のところへやってきて3週間。
相変わらず得体はしれないが、何だか愛らしく感じるようになってきたから不思議だ。

 

この生き物が入っているガラス瓶を眺めていたら、ふと、初めて妊娠した時と似てると思った。
得体がしれない生命体を育てて、愛が生まれる過程が。

 

 

目覚めてすぐに、体温計を舌下に入れる毎日は、結婚から2年ほど続いた。
36℃前後の低温期が2週続いて、そこからさらに体温が下がった日が、排卵日だ。それを過ぎると体温は1℃近く高くなる。
毎晩23時を過ぎる夫の帰りを待って、排卵日前後に固め打ち。
夫が果てたら、こぼさないように体勢を整える。
あんなに重要だった避妊具は必要ないけれど、生殖目的の行為はロマンスもへったくれもない。
夫がいびきをかいて眠ったあとで、シャワーを浴びる。
身体の中心からドロッと流れ落ちる不快感を、一刻も早く消し去るために。

それまで“避妊しないとすぐに妊娠しちゃう”と思っていたけれど、私がすぐに学んだのは、“妊娠って、そんな単純なもんじゃない”ということだ。
明け方のベッドで体温が下がったことを知るとき、職場のしろく明るいトイレで、下着を染める赤色を確認するとき、毎月、私は小さなため息をついた。
また来月トライしなきゃならない。
当時かかえていた仕事の都合で、12月までに妊娠しなければ、1年先送りにすると決めていた。
産前産後休暇で、穴を開けるわけにはいかない。
双方の親戚や姑からの「赤ちゃんは、まだ?」という問いかけには、とっくに心の中で耳を塞いでいたし、私は20代半ばでまだまだ若かったけれど、やっぱり焦った。

そんなピリピリの毎日を送っていたから、月経の遅れにはすぐに気づいた。
仕事帰りに購入した妊娠検査薬で、帰宅後すぐに検査をする。
箱には1分と書いてあったけれど、ほんの数秒で判定窓に線が出た。
ドキドキする間もないほど、それはあっけなかった。
結婚して2年。
待ち望んだ妊娠だった。

帰宅した夫を玄関まで出迎え、嬉々として妊娠を告げると、彼は業務連絡のように平坦な声でこう言った。
「そうですか。わかりました」
驚きも、喜びも、嬉しさも感じられない声。
共感を求めた私の心の躍動は、宙に浮いたままだ。

 

 

1週間後、受診して妊娠が確定した。
そして、さらに1週間後、それは突然やってきた。
忘れもしない。職場で、昼食に卵とじうどんの出前をとった日のことだ。
柚子七味を振って、ひと口目をすすろうとした瞬間、強烈な吐き気がこみ上げた。
昆布だしの卵とじは大好物だったのに、船酔いのように箸がすすまない。
その日から、私の脳と胃は、グレープフルーツゼリー以外受け付けなくなった。

身体はみるみるうちに痩せていき、いっぽうで乳腺は痛いくらいに張って、私史上最高の、理想的なプロポーションになった。
つわりも乳腺が張るのも、すべては胎内に宿った生命体のなせる業だ。
産科でもらったエコー写真には、人間とは似ても似つかない、しろくて、まぁるいものが写っている。
たかだか4cmくらいの得体のしれない生き物が、私の身体を支配していて苦しかった。
この生き物は、私じゃない。
私じゃない何かが、身体のなかで蠢いている。
そう思うと、愛おしいどころか若干オカルトめいていて、気味悪かった。
そして、妊娠を望んだくせに、そう感じた自分のことを、母親失格だと思った。

「妊娠おめでとうございます。それでは、4月からは新しいかたを水野さんの代わりに配置しますから、安心して子育てに専念してくださいね。やっぱり、お子さんが小さい時は、お母さんは家にいないとね」
職場で直属の上司に報告すると、そのまた上の上司から、とびっきり優しい声で今で言う“マタハラ”を受けたけれど、そんなもんだから仕方がないと諦めてもいた。
時代はとっくに平成になっていたし、男女雇用機会均等法施行から10数年が経っていたけれど、そんなもんだ。
この得体のしれない生き物は、あと3ヶ月で私から仕事を奪う。
たかだか4cmのくせに、私の食の嗜好を変え、私の身体の形を変え、私の趣味だった雪山を奪い、私のこれまで築いてきたキャリアを途切れさせ、これからのキャリアデザインまで変えてしまう。
恐るべき4cm。

 

 

1月に妊婦健診でもらったエコー写真には、頭と胴体に丸っこい手足がついていて、クマのぬいぐるみのようだった。
得体のしれない生き物が、ちょっと可愛らしく見えた瞬間だった。

「頭から胴体までで、今6cmくらいなんだって」と、祖父にエコー写真を見せた。
化学者だった彼は眼鏡を外してしげしげとエコー写真を眺めると、「今、ちょうどマウスくらいの大きさだな」と言って、ニヤリと笑った。
「ちょっと、おじいちゃん! 赤ちゃんをネズミに例えないでよ!」と祖母と笑っていると、祖父はふと真面目な顔になって、ボソッと言った。
「この子が生まれてくる頃には、僕はきっと、この世にいないだろうなぁ」

 

 

几帳面な祖父は、まるでそれが予言だと証明するかのように、それから2ヶ月ちょっとで突然旅立ってしまった。
その頃、妊娠6ヶ月に入ったばかりだった私は、喪服のワンピースのファスナーが締まらず、急きょ着物の喪服を着て葬儀に参列した。
「忌みがおなかの子に障らないよう、跳ね返すために」と母から渡された小さな鏡を、帯に挟んで。

すべてが慌ただしかったその日の夕方、着物を脱いだ瞬間に、おなかがポコポコ動いた。
反射的に、私はおなかに手を当て、その子をよしよしした。
きっと、おなかを見て。
ちょっと微笑んでいたと思う。

あぁ・・・私、大丈夫だ。
そう思った。

いつの間にか、ちゃんと可愛いと思えてる。
きっと、あの得体の知れなかった生命体が、だんだん私を母にしていって、あの子は私の赤ちゃんになったんだ。

 

 

今、うちのキッチンにいるその生命体は、妹の家からやってきたものだ。
無農薬栽培の紅茶とてんさい糖を餌にして、発酵するコンブチャというもの。
クラゲみたいな、しろくて柔らかそうな厚みのある膜が張っていて、発酵した紅茶は、甘酸っぱくて、シードルみたいなシュワシュワした口当たり。

「もう最近、この子が可愛くって。うたのために株分けしといたから」と妹が私に瓶を渡したときには、その不思議な見た目にギョッとした。
でも、何度もコンブチャにあげるために甘い紅茶を淹れて(熱いと死んじゃうから、冷ますんだけど)、お世話をしたり飲んだりしてるうちに、だんだん可愛くなってきたから不思議だ。

 

赤ちゃんへのいとおしさは、おなかの中にいる頃より生まれた時、生まれたばかりの頃より3ヶ月、3ヶ月の頃より1歳と、ぐんぐん加速していく。
関わって、言語的・非言語的コミュニケーションを繰り返すうちに、愛が芽生え、愛が育っていくのだと思う。
得体のしれない生き物だって、気味悪い生命体だって、ちゃんと関われば得体はしれるし、気味悪くもなくなる。
寄り添って関わっていくうちに、愛が芽生え、愛が育つのだ。

ただ「コンブチャが可愛く見えてきた」ってシンプルなことを書きたかっただけなのに、その14文字を3000字近くまで引き伸ばしてしまった。
今日も、私の文章は長い。

ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!