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オートクチュール・クラウドの魅惑

 

 ずいぶん前から不思議に感じていることがある。
 おとちゃんを迎えにいくと、まるで双子コーデかシミラールックのように、上も下も似たような服を身につけていることが、何度となくあって。最初は偶然だと思っていたけれど、それにしてはあまりにも回数が多い。全然イヤじゃないけれど、不思議でならない。

 助手席に乗ったおとちゃんを見て、思わず吹き出してしまう。ふたりとも白と紺のロンドンストライプのシャツを着ていたり、ふたりともブラックウォッチのタータンをどこかに着ていたり、ふたりとも黒×カーキの組み合わせだったり。一緒に服を買うことが多いので、たがいのワードローブはあらかた知ってはいるけれど、Uniqlo U のTシャツなどを除けば、同じものは持っていないのに。
 なぜか、かぶる。

 自分たちは「もぉ、ホントに気が合うねぇ♪」と笑っておしまいだからいいのだけれど、いっしょに他の誰かに会いに出かけるときなどは、さすがに着替えた方がいいかなぁ・・・なんて思うほど、似ている。だから、最近は出かける前に「何着た?」と確認することが増えた。
 そして、その確認の最中にも、また吹き出すのだ。

 

 ずっと心をかよわせ続けていると、こそあど言葉どころか、極端なケースだと何も言葉を発しなくてもコミュニケーションが成立したりもするし、その日に合わせて手に取るワードローブが似た雰囲気になったりする。
 これって、とても不思議なことだなぁと思っています。

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 40代半ばに差しかかった頃から「あれ、何だっけ? ど忘れしちゃって」が、ときどき起こるようになった。

 仕事をしていて、必要な言葉が出てこない自分にイライラしてしまう。
 さいわい、となりの席の玉森さんが「あぁ、僕、メールしておきますよ。サーバのSSL証明書の更新の件ですよね?」なんて、さらっとフォローしてくれるから何とかなっているけれど、これでは仕事にならない。
 何とかしようとメモ魔になるし、付箋を貼る。書くことで頭にとどめようとする作戦だけれど、それが、どのページに書いたのか忘れるのとセットだということすら、忘れている。

 漠然とした不安がよぎる。わたし、大丈夫だろうか?

 

 おなじ事は、もちろんプライベートでもじゃんじゃん起きている。

 ねぇ、あれさぁ、大丈夫だった?

 あぁ、あれね、大丈夫だったよ。全然問題ない。

 そっかぁ。良かったぁ。

 ところで、あれって、あれだよね? あぁ、名前が出てこないけど。

 そうそう、あれ。うーん・・・わたしも出てこないけど、あれのことでしょ? ほら、画面をスクショして送ったじゃない。

 あ、そうだったね! それそれ! よく判ったねぇ、さすが!

 

 通じるのだ、ちゃんと。
 「あれ」と「それ」、こそあど言葉だけで私たちの会話が成立するようになって、かれこれ10年ちかく経つ。その会話を聞いて、娘たちはすかさずツッコむのだ。

 「あれそればっかりじゃん! それで、よく通じるねぇ」って。

 その言葉を聞くと、こども時代に両親に同じことを言ったのを思い出す。
 もっとも、その頃は父も、母に「“あれ”じゃ、わからんだろう」とツッコんで笑っていたのだけれど。70代半ばに差しかかった両親は、たがいにこそあど言葉で会話が成立している。

 

 今ならわかる。
 通じちゃうんだ。
 説明なんかいらなくて、そこには積みかさねてきた“相手をおもう時間”があるだけなんだと思う。

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 この間、ぼんやりRADIOさんの記事を読んでいたら、新婚さんの会話でもこういうことがあるんだと思って、ほっこりしました。

 こうやって固有名詞がだんだん思い出せなくなっていくのでしょうね。

「あれなんだっけ、あれ」だとか「あそこの、ほら、あそこのあれが美味しかったよね」だとか「今日あの人に会ったよ、ほらあの人」「あの人って誰よ」とか言いながらアナタと僕は歳をとっていくのでしょう。

 

 読んで思ったんです。
 新婚の彼らも、今から10年、20年と時を重ねていくうちに、よりいっそう そうなっていって、年老いた両親や私たちみたいに、「あれ」と「それ」だけで理解し合えちゃうようになるんだろうなぁって。

 そう思ったら、“クラウド”ってことばを思い出したので、コメントに書きました。

そのうち、答えには永遠にたどり着かないのに通じてしまう神通力が芽生えます。
仲良しのふたりには、オートクチュールでスペシャルなクラウドが出現するんです。曖昧模糊だけど心地いい会話をサポートします(^^

そしたら、こんな素敵なお返事が。

そんな凄いサービスが出現するように仲良くやっていきます^ ^
しかもプライスレスですね、きっと。

 

 積みかさねてきた“相手をおもう時間”。
 その想いや思いや想像力や記憶力がそのクラウドを形作っていて、「あれ」の最適な答えを瞬時にイメージさせるんじゃないかな。だから、答えには永遠にたどり着かないのに通じてしまう神通力のようなものが、ふたりの間に芽生えてくるんじゃないかなって。

 そうやって、わたしたちは会うたびに同じような服を着ていたり、「あれ」と「それ」でほぼ間違いなく理解し合えたりする。

 そのクラウドは、そのふたりのためだけに設定されたスペシャルなクラウドで、しかも“プライスレス”。

 

 わたしのオートクチュール・クラウドは、まだまだ発展途上。
 きっと、もっと魅惑的で、もっと心地よいサポートになっていくはずだ。
 年をかさねるのを楽しみになる、そんなクラウドが、ひとつくらいあってもいいよね。

 

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 最後に、ぼんラジさん(勝手にそう呼んでいます)さんに初めて出会ったかたのために、少しだけご紹介。
 ぼんラジさんは、芸能のお仕事をする奥さまへ毎日ラブレターを綴っているかたです。そのラブレターの結びのひとことが、ストレートで好きなんです。

今日も大好きです。

 ぼんラジさんの、ふたりの日常を切り取る視点、奥さまを見守る視点が温かくて、毎日癒されています。みなさんも、ぼんラジさんの温泉みたいな心地よいラブレターの世界に、おさんぽしてみてはいかがでしょう?

 

 そして、たまに描かれるちいさな物語も大好きです。

 

 



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