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何度でも読みたいnoteの引き出し

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何度でも読みたいなぁ・・・と思ったnote、トラックバックのように大々的に紹介はしないけれど、誰かにもおすすめしたいなぁ・・・と思ったnoteを、そっとしまう場所です。ときどき、…
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2022年4月の記事一覧

短歌)いつも初めて見る景色

*** 「君の里旅してみたい」と言うけれど 東京捨てて嫁げはしない

ピカピカの床

休み明けに、いつもと変わらず汚れのないオフィスの廊下を歩く。自分の部屋のドアを開けて、目を見張った。床がピカピカに光っていた。 ワックスしたばかりの床を、廊下やほかの部屋でも見たことはある。でも、その時は、私の部屋だけ。 フルタイムで仕事に戻った年だった。 笑顔にさせてくれた人は、清掃員のMさんだとすぐわかった。 夕方からフロアの掃除を始めるMさん。見たことがない道具も、掃除用のカートにあった。工夫ぶりがおもしろく、時々言葉を交わした。クリスマスで、私は休みになった。

やさしさは身につけられる、いまからでも。

あまりにも親切な人と出会うと、衝撃を受ける。どうして、どんな思考回路でこんなやさしさが発揮できてしまうのだろうか? としばしフリーズしてしまう。霧と霞とか食べて生きてる清らかな人なのだろうかとか愚かなことを考えながら。 こんにちは、こんばんは。栗田真希です。 やさしさに出会うたび、結構、落ち込んで生きてきた。 たとえば、そのやさしさが血脈のように受け継がれてきたものだったとした場合には、もう手遅れのような気がしてしまっていたからだ。 祖父母とはあまり縁が強くなかったし

ハニー、君をジャマしたい

結婚生活も九年目となると夫婦の関係性は多少なりとも変化してくる。 それこそ新婚当初や、まだ結婚する前の彼氏彼女の関係だった頃なんて、並んで歩けば必ず手を繋ぎ、目が合えば少し恥ずかしそうに笑い、たまに僕のことを「王子」なんて呼んでくれていた。それがどうだ。今となっては最後に手を繋いで歩いたのなんていつだったか覚えてもいないし、目が合えば「何見てんの?」と路地裏のヤンキーばりに絡まれ、挙句の果てには名前ですら呼んでもらえず 「おい」 と呼ばれることも多々ある。 僕の趣味に関して

「描く」と「書く」の境界線

中学生になるまでの10年間、絵を習っていた。いわゆるお絵描き教室。アトリエと呼ぶには技術も志も足りなかったが、パレットに落とす絵の具の色を選ぶ瞬間にわくわくしたのは今でもよく覚えている。 小さい頃から作ることが好きだった。段ボールや牛乳パックはいつも大切な遊び道具で、家族との旅先ではよく画用紙に絵を描いていた。物心ついたときには、毎週金曜日になると黄色いスイカ柄のバッグをぶら提げ教室に通っていた。スイカには、クレパスと絵の具の跡がいくつも滲んでいた。 教室は近所にある一軒