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連載日本史54 国風文化(1)

平安時代中期、十世紀から十一世紀にかけての文化を国風文化と呼ぶ。遣唐使の廃止によって中国との正式な国交が途絶え、それまで旺盛に取り込んできた大陸文化に日本独自のアレンジを施した、優雅で洗練された宮廷文化が発展した。中でも特筆すべきは、やはり仮名文字の発明であろう。漢字の音を日本語に当てはめた万葉仮名をルーツに、漢字を崩し書きにした草書体から平仮名が生まれ、漢字の一部から片仮名が生まれた。平仮名は当初は主に女性が使用し、片仮名は主に漢文訓読体の送り仮名に用いられた。平安末期には五十音図やいろは歌も成立していたという。

ひらがなの漢字由来(Wikipediaより)

アルファベットやハングルなどの表音文字とは異なり、漢字は文字自体が意味を持つ表意文字である。表意文字を材料にして表音文字を作ってしまった当時の日本人の柔軟な発想には感服するばかりである。仮名文字の発明は、宮廷を中心とした国文学の発達に大いに寄与した。物語・日記・随筆・詩歌など、さまざまな分野で、後世に残る名作の数々が生み出されたのである。

カタカナの漢字由来(Wikipediaより)

物語文学では既に九世紀には「物語の祖(おや)」と呼ばれる「竹取物語」が成立していたといわれるが、十世紀になると在原業平とおぼしき一人の男を中心に恋と歌とを織り交ぜた「伊勢物語」や歌にまつわるさまざまな伝説やエピソードを語る「大和物語」など、一般に歌物語と呼ばれる新たなジャンルが生まれる。一方、「竹取物語」の系譜に連なる伝奇物語のジャンルでも恋と音楽を絡めた「宇津保物語」や継子いじめの「落窪物語」などの多様な作品が生まれた。そして十一世紀には二つのジャンルを融合した壮大な長編物語である「源氏物語」が誕生した。

土佐光起筆・源氏物語画帖「若紫」(Wikipediaより)

日記文学では、紀貫之が自らを女性に仮託して平仮名で記した「土佐日記」を皮切りに、夫の浮気に対する妻の嫉妬を生々しく綴る「蜻蛉日記」、親王との恋と歌のやりとりが描かれた「和泉式部日記」、宮廷での出来事や人物評などを記した「紫式部日記」、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)の回想記である「更級日記」などが、十世紀から十一世紀にかけて次々と成立した。随筆では、四季の情趣や宮廷生活での知的な交流の数々を軽やかな筆致で描いた「枕草子」が、十一世紀初頭に成立する。

枕草子絵詞(Wikipediaより)

「源氏物語」を書いた紫式部は、藤原道長の娘である中宮彰子に仕えた女房であった。一方、「枕草子」の作者の清少納言は、藤原道隆の娘で、藤原伊周(これちか)の妹にあたる中宮定子に仕えた女房である。彰子と定子は一条天皇を挟んでライバル関係にあり、それはそのまま、道長と道隆・伊周親子の対立を反映していた。「土佐日記」の作者の紀貫之や、「伊勢物語」の主人公と目される在原業平は、藤原氏によって排斥された一族の系統に連なる人々である。華やかな宮廷文学の隆盛の背景には、宮廷政治の愛憎や確執があった。

紫式部・清少納言関係図(hiizurukuni.comより)

十世紀に成立した最初の勅撰和歌集である「古今和歌集」も、紀貫之を中心に編纂されたものである。十一世紀に「和漢朗詠集」を編纂した藤原公任は摂関家の出身ではあったが、兼家・道隆・道兼・道長・頼通と続く本流の血統ラインからは外れていた。政治の世界では傍流に置かれた人々が、文化の世界では主流に躍り出たのである。

古今和歌集仮名序(Wikipediaより)

新たな文化の創造は、権威や権力の中枢ではなく、傍流や周縁から興ることが多い。そこに時代の才能が集まり、サブカルチャーをメインストリームへと押し上げていく。現代でいえば、漫画やアニメの世界が、それにあたるかもしれない。平安時代の国文学の世界は、新たなクリエイティブ・ツールである仮名文字を手にした傍流・周縁の人々の、豊かな才能と活力が躍り出たステージであったと思われるのだ。






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