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ルポタージュファイル

仮住まいの新居の鍵を開け、ドアを開けると、煌々と明るかった。
部屋には、大勢の応援が詰めかけていた。
〈引っ越し〉の手助けなど、面倒でしかないはずなのに、若い彼らは喜々としていた。

わたしに気づくと、
「お先にお邪魔していますっ!」
と溌剌として清々しい挨拶をしてくれた。

「今日は、ありがとうございます。お手数をおかけして申し訳ありません」
わたしは、彼らに、礼と詫びを述べた。

「いえ、お手伝いさせていただけて、光栄ですっ!」
彼らは、お世辞ではなく、ほんとうに、そう思ってくれているらしかった。

連携しながら、役割を分担し、てきぱきと、各々の作業を進めているように見えた。
恐縮だった。

彼らは、妹が呼び集めてくれた助っ人たちである。
彼女の徳の高さにも、頭が上がらない。

むしろ、家主であるわたしが後から到着し、どこか、蚊帳の外のように手持ち無沙汰だった。

というのも、この〈引っ越し〉が、いわゆる引っ越しではないからでもあった。

「お姉さん、こちらは、これでいかがでしょうか」
と、彼らのうちの一人が、尋ねてきた。

B5サイズ程のファイルを手渡され、開くと、そこには、「妹の誕生した日の朝」の記録が記されていた。

ホログラム写真と、彼の手書きの文章によって構成された、ルポタージュだった。

母の手紙も載せられていた。
どこから見つけてきたのだろう。

「**ちゃんへ
おはよう。あさごはんは、おかかのおにぎりをたべてね。
あかちゃんがうまれそうなので、おかあさんは、よなかですが、さんいんへいきます。これから、おばあちゃんが、きてくれます。おとうさんは、おしごとか、おかあさんとあかちゃんのつきそいで、いないかもしれません。おばあちゃんのいうことをよくきいて、いいこにしていてね。あかちゃんがうまれたら、あいにきてね。すこしのあいだ、しんぼうしてね。
おかあさんより」

「妹の誕生した日の朝」は、わたしのなかの、おそらくは最初の記憶である。
目覚めたら、家中のどこにも父母がいない、という体験が、まずあった。
不思議と恐怖はなかったのだが、衝撃ではあった。

ルポタージュによると、わたしは、その日、いつもより随分早く目覚め、父母を探し回るも空振り、母からの手紙をダイニングテーブルで見つけた。
平仮名は覚えたばかりだった。手紙をたどたどしく3回音読したあと、納得し、その後、目に隈をこさえて帰ってきた父を、パジャマ姿のまま玄関で迎えた。
陣痛の合間に母が握ったおかかのおにぎりを食べ、近所の友だちと一緒に幼稚園へ行った。その子の母の手製のお弁当を持ち、その子の母に送られて。
母が事前に頼んでいたのか、友だちの母の善意の計らいなのかは、ルポからは、わからなかった。いずれにしても、ありがたい。小さなわたしは、友だちとおそろいのお弁当に喜び、友だちと手をつないで、スキップしていたらしい。
わたしが幼稚園で、ちょうどお弁当を食べはじめた、正午頃、妹は生まれた。

妹の出産は、母子共にリスクの高いものと事前にわかっており、母は半ば死も覚悟して、ある程度身辺整理をして出産へ向かったと聞かされたことがあった。
ルポを読んで、そのことも思い出した。

それでもなお、記憶は、おぼろげなままだった。
友だちの名や顔すら思い出せない。
幼稚園の夏の制服の、淡いブルーがよぎるだけだ。
とはいえ、わたしの最初の記憶のルポタージュは、優しい編纂者によって、優しく編纂されており、温かく、ありがたかった。

「ありがとう。これで、かまいません」
わたしは、微笑んでこたえた。

彼らは、どうやら、わたしの人生のうちの、ある一定のまとまりを抜粋し、ルポタージュにまとめている、ということに、そのとき、気づいた。

引っ越しの片づけ作業に似てはいるが、そうではない。
仕分けや整理に近いものだ。

それから、わたしは、幼少期から現在に至るまでの、じぶんに関する、様々な記録のルポタージュを読むことになった。

「お遊戯会のドレス」、「初めて歯が抜けた日」、「作文で表彰された話」、「なぜか繰り返しみた空飛ぶ夢」、「おしゃまな一面」、「画家に憧れていた頃」、「初恋のひと」、「好きな食べもの履歴」、「初めての一人旅」……
というような、思い出して微笑ましいものもあった。

一方、「あの忌まわしい出来事」、「壁の隅の眼」、「震災」、「溺れて死にかけたときのこと」、「やらかしワースト」、「血の因縁」、「◯◯さんとの恋愛修羅」……
など、できれば思い出したくなかったものもあった。

しかし、どのルポタージュも、茶化すことなく誠実に、客観的に書かれており、懐かしくもあったが、どこか他人事のように目を通した。

とはいえ、苦いものは苦く、恥は恥だった。

わたしは、「鬱の底」のルポタージュを持ってきた青年に、詫びもこめて吐露した。

「こんなものを見せられて、まとめるなんて、嫌でしょう?ごめんなさいね。心苦しいですし、恥ずかしいです。穴があったら入りたいくらいです。なのに、この部屋は、とても明るい」

青年は、目を瞠り、声も張った。

「何をおっしゃいます!どんな記憶も、どんな思いも光です。お姉さんが、こんなもの、とおっしゃる記憶さえ、光です。ぼくらへの心配は無用です。お姉さんは、のんびり休まれていてください」

それを聴いたわたしこそ、目を瞠った。

そして、わたしは、わたしの最後の記憶を思い出すことになった。
ルポタージュファイルを手渡される前に、おのずと思い出されたのだ。

わたしは、真夜中の星空の下、
地の涯まで歩いて行った。
地の涯には、背の高い白樹があった。
わたしは、白樹の枝にロープをかけ、
首を吊って死んだのだ。

ルポタージュの彼らは、妹の祈りの呼んだ、天からの使者たちだった。
そのことに気づいて、目を上げると、彼らのうちの一人が、静かに言った。

「大丈夫です。どんな記憶も、どんな思いも、光だと言ったでしょう。すべて光へ還ります。棚卸しは済みました。お姉さん、ぼくらと共に行きましょう」

天使の彼らを遣わせた妹の名は、奇しくも、「ひかり」という。
初めから終わりまで、彼女は、わたしの〈ひかり〉だった。

そして、わたしは、彼らと共に、光へ還った。

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