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炉火純青の足跡 - 高知 宿毛

>>> 発揚

chapter - 01

”未来に残したい風景”の記事募集が目に留まり、もう少し宿毛市に触れさせてほしく、前作『 静かなWater blue 』の続編として再び筆を執ることにした。

前作では、宿毛市は良質な素材がたくさんあるものの、その大半が色褪せてしまい、町が凍てついた雰囲気に包まれていると綴った。今回、前作で触れることのなかった宿毛市の有名な"アレ"について、私なりに"アレ"を"コウ"してみたい。

私は幼い頃、貰ってうれしいプレゼントが二つあった。

それは "塗り絵” と ”プラモデル” だ。

極細の線で緻密に描かれた塗り絵のアウトラインや、細かなパーツだらけの難易度S級プラモデルを見ていると、それを彩色し、作り上げていくことで徐々に浮かび上がってくる”リアル”を想像することが、実際に作り上げる工程よりも楽しかった。

いろんな色を想像し、彩色したくなる良質な"線"が残る宿毛市は、まさしくそれに近い感覚が宿る"未来に残したい風景"である。

風前の灯火であるその"色褪せた水彩画"を消さないために、もう少しだけ執筆という形で足掻かせてほしい。

>>> シリウスを飲み込んだ

chapter - 02

宿毛市出身の政治家や有識者、クリエイターなどの偉人が数多く存在していることをご存知だろうか?恥ずかしい話だが、私は"横山やすし"しか知らなかった。そもそも横山やすしは偉人なのだろうか?

宿毛市偉人一覧


どうやら違うようだ。

偉人の功績は凄まじいものがあり、この狭い地域からこんなにも濃厚な人材が輩出されるのは、単なる偶然ではない気がする。パワースポットなど、妙にスピリチュアルなものにその理由を問いたくなる。

しかし、こんなに数多く偉人が存在しているにも関わらず、その事実があまり世に知られていないのは何故だろうか?
ひとりひとりの存在は知っていたとしても、宿毛市でソートを掛けた瞬間、一気に存在感が薄く感じてしまう。

なんとなく、スーパー戦隊シリーズの"赤"が勢揃いしたような感覚。

どれが何の赤?

私がこの数多い偉人を世に広く知らせるなら、どんな手段を選ぶのかを考えてみたが、なかなか難しい。他の魅力的な媒体を通じて、”実はここはあの偉人ゆかりの場所なんです”って感じがじんわりと心に沁みるように思えるが、その媒体が思いつかない。

それはある程度、日本史の教養という土台がないと、触れることがない絶妙な人物が多いことに所以する。

その人物が見た世界やドラマが、何らかの形で疑似体験できたり、憑依する空間みたいなものがあればいいが、無知蒙昧な私には陳腐なアイデアしか浮かばない。

>>> 恍惚 Overdrive

chapter - 03

宿毛市はおいしいお店が多いことで有名である。
一泊二日の旅で、何軒もハシゴできる強靭な胃袋を持ち合わせていないため、宿毛市を訪れる前に店を厳選しておいた。

仲良くさせていただいている、宿毛コンシェルジュさんオススメの店”まこと食堂”をかなり楽しみにしていた。
片島港を静かに眺めるように佇む、完全地域密着型の” THE食堂 ”だ。

慣れない道をキョロキョロしながらやっと到着。
お腹ペコペコ。

まこと食堂

え?

まこと食堂

ああああ(ドラクエで適当に付けた名前ではなく、落胆の声)

まこと食堂のある片島という場所も、東宿毛に負けじとなかなか渋い。
かつて宿毛佐伯フェリーが運航していた頃は、賑やかな場所であったことを思わせる雰囲気が今も残っている。

片島港

高度の低い太陽とキラキラした凪の片島港を眺めていると、単音ピアノが奏でる不器用なメロディが聞こえてくるようで、祭りのあとのような静けさを暖かく感じた。とても優しい時間だった。

私がまこと食堂に来たかった理由は、不器用ながらもきちんと歳を重ねてきた雰囲気に包まれながら、ラーメンやおでんを食べたかった。
俗に言う"老舗"や"レトロ"という表現ではなく、ありのままで飾らず、ブレないで毎日を重ねてきたもの。

車で例えると、ものすごく綺麗に保管されているクラシックカーではなく、昭和40年代のファミリーカーが未だにマイカーとして機能している。そんな奇跡のような空間に触れてみたかった。

>>> 指先をすり抜ける那由他

chapter -04

宿毛市の主要箇所を全て訪れたわけではないが、今回訪れた場所のなかで、いちばん印象深かった場所は"林邸"と"宿毛文教センター"だった。

宿毛文教センター

どこにでもある至って普通の公民館だが、ここにある二つの施設について触れてみる。

ひとつは公立図書館である坂本図書館。

私は本が大好きであり、書店や図書館に出かけることが多い。ただ、本を"単なる本"として扱ってるところに、極度な嫌悪感を抱いてしまう。雑誌と漫画だらけでその片隅に適当に文庫本や教本を並べる書店、数があるだけで責務を果たしているような、どうでもいい図書館。もう悲しくなる。

今回の宿毛旅行の帰り道に、梼原町の"雲の上の図書館"にも立ち寄った。隈研吾の圧倒的な建造物に並ぶ本の存在感、温もり、何もかもが凄すぎて逆に怖くなった。

雲の上の図書館 - 梼原町

この完成された空間で、ゆっくりと本を厳選し、本に包まれながら本を読む。そんな柔らかい時間を過ごすのと同時に、この場所を維持していくセンスと労力を想像すると恐怖でもあった。

一方、坂本図書館は庶民的で、少し凛とした空気が漂う図書館。カッコつけて背伸びした本は無く、みんなに読んでほしい、大切にしてほしいという思いが伝わってくる。売れ線ばかりでない、きちんと厳選された本の配列を眺めていると、ここを生活動線として取り入れたくなる。

都内にもおしゃれな書店が数多く存在するが、本を利用した"あざとさ"がダダ漏れな店が多い。

飾り気なんて必要ない。等身大の自然体でいい。
私なら坂本図書館で本を借りて、林邸で読む。

そして、もうひとつが宿毛歴史館。

私みたいに、あまり歴史に興味がない方からすれば、強烈な堅苦しさを感じる数々の展示品。故に、伝えたいメッセージやテーマが妙にぼんやりした感じがする。何も遊ぶものがない、おじいちゃんちに遊びに来た感じがして、ちょっと残念。

宿毛歴史館

私が歴史、特に日本史に興味を持てないひとつの理由として、現代と繋がりがイメージしづらく、偉人の功績をその時代の"点"として説明されても、どれだけ凄いことかピンとこない事が多い。

歴史の授業も、現代から過去に遡れば、もっとイメージしやすくなるように思える。いきなり卑弥呼とか聖徳太子あたりから攻めるから、ちょっとリアリティに欠けてくる。

もし、宿毛市出身の偉人が存在しなかったら、現代にどんな影響を及ぼしていただろうか?偉人の時代背景を知るにはどうすればいいのだろうか?

色褪せた『歴史という絵画』を彩色することは、もしかすると、町を活性化するよりもずっと難易度の高いテーマなのかもしれない。

>>> あとがき

afterword

ノスタルジックな景色の多い宿毛市。

もっとディープな部分に触れてみたく、近いうちに再訪する計画を立てている。前回よりももっと長く、宿毛市だけに滞在をする予定。

とあるリーフレットのコラムに、『遠きがゆえに、他所には頼らず自己完結させるという気風が育まれました』と綴られており、確かに、私を魅了した”独特な世界”の鮮度を維持できているのは、独身独歩が生んだ叡智が根幹にあるからかもしれない。

海を眺め、散歩して、ご飯を食べ、写真を撮り、本を読み、誰かと語り、最後はスナックでスパークする。そんなありふれた日常に手を翳してみれば、どこかでその叡智に触れられる気がする。

私が未来に残したい風景『宿毛市』。
その緻密な”線”をなぞる旅の準備を始めよう。

これを読んでくれたあなたに、宿毛市のどこかで出会えたら、ちょっと幸せです。

また来ます☆

#未来に残したい風景


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