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ブルーノートアーティストの大義とインターネットを生きる私たちの苦悶

表現することは生きること。

映画「ブルーノート・レコード」の中盤で字幕に現れたその言葉(英語聞き取れない)は、「メモ帳持って来ればよかった」と、私を暗闇の中で後悔させました。

先週の日曜日、私は音楽の世界をよく知る恋人と連れ立って、渋谷の映画館Bunkamuraル・シネマに向かいました。お目当ての作品は「ブルーノート・レコード」。一方の私、音楽の知識はほとんどゼロ。ブルーノートって、あれですよね。ご飯食べながらライブ聴くところですよね、程度の知識。ただ、「表現」というモノ全般に興味はあるので、ワクワクしながら映画館に向かったのでした。

劇中では、時代背景や創設者のストーリーが語られる中流れる数々のジャズ。昔、スターバックスで働いていた私にとって、モーニンやブルートレインはコーヒーの香りだったりします。店内BGMで使われていたことがあって、気に入ってCDも買ったんですよね。

冬の朝、開店前。まだ暖房の効かない店内でコーヒー豆を挽いて、準備をしている、あの日の香り。

映画中にそんなトリップをしていたのだけれど、もちろんブルーノートアーティストにとってのそれは優雅な冬の朝の音楽じゃないわけで。映画を通して、彼らが音楽を奏でたのは奏でざるを得ない大義があったこと、その歴史を知るのでした。

ブルーノートアーティストはジャズを奏でて生きる

ブルーノート・レコードとは、1939年にニューヨークで創設されたジャズのレコードレーベル。大のジャズファンだったドイツ系ユダヤ移民のアルフレッド・ライオンとフランシス・ウルフが立ち上げました。

アフリカン・アメリカンのブルーノートアーティストたちはジャズを奏でます。人種差別が今よりもっとグロテスクだった時代、彼らは自由を訴えてジャズで表現しました。アーティストたちにとって、音楽は手段。音楽しか手段がなかった。そして、奏でるべき大義がそこにありました。スラムの物語。差別への怒り。自分たちに当たり前にあるべき自由。

往年のジャズからヒップホップ、そしてノラ・ジョーンズ。映画はその音楽の時代の流れを映していきます。それでも、音楽の根っこの大義は変わらないようでした。

冒頭に書いた「表現することは生きること」。そして、「アーティストはアートを守れ」というブルーノートの言葉。右手にペンとメモ帳があれば、暗闇の中で書き取ったかもしれません。音楽という手段で生きていく(稼ぐという意味ではなく、言葉通り”生きていく”)アフリカン・アメリカンのアーティストと、彼らが自由に大義を表現する場を守り続けるブルーノート・レコード。なんてすばらしい関係性なんでしょう!

今を生きる私たちが表現をする大義と手段

ブルーノートのアーティストたちは差別と闘う大義を持って、音楽という手段で、表現をしました。ジャズを奏でざるを得ない時代がそこにはあったのでしょう。

じゃあ、日本で今生きている私たちはどうなんだろう。スクリーンの前で数々のアーティストたちの姿を見ながら、名曲を聴きながら、そんなことを考えていたように思います。

表現の手段。これはたくさんありますよね。音楽はもちろん、文章や写真、イラスト、漫画……自分の得意だったり好きだったりする手段で表現ができる。しかも、それをnoteやTwitter、インスタグラムで見てもらえる。いい時代だなぁと思います。それでも手段がたくさんあるからこそ、自分は何を武器に表現をすればいいのか、クリエイトすればいいのか、迷う人もいるかもしれません。

そして、表現をしなければいけない大義。それを考えるとさらに分厚い壁にぶち当たるんです。大義のタネはきっとたくさんある。自分の家族の在り方を伝えたかったり、あまり知られていない病気の現実を知らせたかったり。私の「女ひとり酒」なんて女が一人で飲むのもオツなんだよって言いたいだけです。

大義のタネはあるのに、インターネットから目の前に毎分毎秒現れる情報を見て、なんだかスゴイ人の表現を読んだり観たりすると、「なんだ、私の伝えたいことなんてすでに誰かが伝えているじゃないか」と、足元の小石を蹴飛ばしたくなるんです。自分の発信なんてワールドワイドウェブの一端を汚すだけだ!なんてため息をつくこともある。

でも、それでも人が生きる価値は表現にあるって信じたいです。アフリカン・アメリカンが音楽というたったひとつの手段で命を張って表現をした時代。それと比較するのは大変おこがましいけれど、平和を生きる今の私たちだって、情報の濁流の中で自分を見失わないように表現をしたいんです。だから、noteだってTwitterだってインスタグラムだってやりますよ。こんなことを考えている私がここにいるって、形に残したいから。1ミリでいいから、私の言葉で動かしたい世界があるから。

自由に表現をするアーティストたちと、表現の場を守るブルーノート・レコード。その関係に憧憬の念を抱きつつ、みんな好きな手段で自由に表現すればいいじゃないかと、心を熱くしながら劇場を後にしたのでした。

音楽の世界をよく知る恋人は、鑑賞後「ジャズを聴いてそのアーティストの想いを感じる」と言っていたので、冬の朝のコーヒーを思い出していた私はやっぱり音楽センスがゼロなんでしょうね。まぁ、いいか。

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