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湖の記憶6(ミステリー小説)

サトルと琴音の結婚式は身内だけの質素な形で行われた。琴音が派手な結婚式を望まなかったからだが、サトルは自分の収入がまだ少ないことを琴音が気にしているのをわかっていた。これを機に早く一人前のカメラマンにならなければ。サトルは決意した。

日本十ニか所の湖の朝の姿を月ごとに撮影した『朝日と湖 カレンダー』は、名取洋之助写真賞を受賞した写真をまとめた、サトルにとって初めての写真集だった。賞を取ったことで写真館にも客が増えたため、妻の琴音は会社を辞め、写真館を手伝い始めた。

三十歳になり仕事も安定し、第ニ写真集『夕陽に染まる湖』も出版された。
八月二十一日、三十一歳の誕生日に出版祝いも兼ねた食事会を行なおうと両親が提案した。ホテルの高級フレンチの店を琴音が予約した。

当日、サトルは神奈川県で出張写真撮影の仕事が入ったため、一人だけ後から遅れていくことにした。

撮影は夕方五時半に終わり、サトルはホテルへの道を急いだ。七時からの予約だったが、サトルは十分ほど到着が遅れてしまった。しかし、家族3人はまだ来ていなかった。妻や両親の携帯電話にかけても、自宅の電話にかけても誰も出なかった。
七時半まで待って、サトルはレストランの担当者に料金だけを支払って家に帰ったが、誰もいなかった。留守電が三件入っていた。最初の一件は病院からの電話で、家族三人が事故にあったので、すぐに病院へ来てほしいという内容だった。サトルは電話で言われた病院へ慌てて向かった。

病院に着くとすぐに院長室に呼ばれた。院長は神妙な顔で自己紹介した後、三人の乗った自動車が事故を起こしたことを伝えた。サトルは足が震えるのを自覚しながら、院長に聞いた。
「それで、両親と妻の容態はどうなんですか?」
「残念ながらご両親はお亡くなりになりました。ほぼ即死の状態で、病院に着いてすぐに亡くなりました」
呆然としながらもサトルは院長に問い質した。
「妻の琴音は?」
「奥様は今、病院のベッドで寝ています。意識はありますが、右腕を骨折しております。ただ命に別状はありません。ご両親が亡くなられたことはまだ話していません」
「事故の状況を教えてください」
まだ事故が現実とは思えないサトルは事務的な口調で尋ねた。
「そのあたりは警察に聞いてください。今、奥様の部屋にいますから。警察も事故の状況を奥様に聞きたいようですけど」

サトルは妻の病室に案内された。琴音が右腕を固定されてベッドに寝ていた。顔色は真っ青で、サトルの顔を見て、泣きながら
「ごめんなさい」
と謝った。
「琴音が謝らなくてもいいよ。とにかく無事で良かった」
サトルは琴音の顔を見て、病院に来てから初めてフーッと大きなため息をついた。
「お父さまとお母さまはどうなんですか?」
「今は自分のケガのことだけ考えていればいい。これから警察の人に事情を聞くから。いいですね?」サトルは二人の警官に向かって言った。
「じゃあ、外に出ましょう」
年配の警官がサトルに言って、病室を出た。サトルもそれについていった。

「奥さまから事故の状況を聞きましたが、まだ自分でも何が起きたかわからないような状態でして。ただ、気づいたら目の前に対向車がいたそうです」
「警察の調べではどうなのですか?」
「お宅からすぐ近くの片道一車線の道路での事故です。運転者はお父さまで、助手席にはお母さま、後部座席に奥様が座っていました。お父さまの側には問題はなかったようです。反対車線を走っていた乗用車が対抗車線を超えて、お父さまの車と正面衝突しました。相手の運転手もほとんど即死状態でした。同乗者はいませんでした」
「そうですか」
サトルは体の力が抜けて、廊下に座り込んだ。涙が止まらなかった。自分の誕生日に食事会など開かなければ良かったのに。学生時代、両親に迷惑をかけ続け、やっとこれから親孝行して過去の失態を挽回するつもりでいたのに、それも叶わなくなった。
「妻にはなんと言えばいいのでしょうか?」
サトルは二人の警官の顔を見上げながら聞いた。
「今すぐ話さなくてもいいですが、結局は話さなければならないのですから。ただ、まだショック状態にありますから、医者が話してもいいと言ったら話せばいいと思いますね」
年配の警官が答えた。
「今日はよしておきます。明日、来たときに聞いてみます」
「そうですね。そのほうがいいかもしれませんね」
サトルは二人の警官に挨拶して、病室に戻った。
                   <続く>

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