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見た目で判断して得られないもの

人は見かけで判断してはいけない。

誰しも一度は言われたことのある言葉。

例えば、目の前にりんごがひとつ置いてある。

赤くて丸い小振りな可愛いりんご。

しかし、そのりんごに触れなければ、どの位の硬さなのか分からない。匂いはどう?実は裏側は腐っているかもしれない。そしてその匂いに導かれて何匹かの虫が食べているかもしれない。近寄ればカサカサ音が聞こえるだろう。もしかしたら毒があるかもしれない。これは食べてみなければわからない。

見た目で得られる情報は、五感のうちのひとつ視覚のみだという事を理解出来てるだろうか?

他の触覚、嗅覚、聴覚、味覚、これら四つも得られていないというのに、何故人は見た目で判断するのか不思議だとは思わないから?

それは、人間が生ぬるく居心地のいい世界にどっぷりと浸かってしまったせいかもしれない。

現代が生きづらい世界だなのは重々承知だ。しかし、本当にそうなのだろうか??

人間は狩りをしなくなり、自然との触れ合いが減ったことでかなり視覚に頼りきっている。手に触れるものは電子機器ばかりで、溢れる音楽に騒がしいノイズで視覚は疲れており、沢山の匂いに囲まれた嗅覚は鈍り、化学調味料漬けになった味覚はもはや薄味を好まなくなった。

そして、いつしか見た目で物事を理解する事を選んだ。一つの事で判断する方が楽な気がするから。実際は、視覚だけに頼ることで危険を察知しにくくなる、本当の判断がしにくくなる、他の感覚が鈍るなどが挙げられる。日本は特に世界の中ではかなり安全に暮らせる国の一つ。きっとその事が残念なことに私達のさまざまな感を鈍らせている。

それを深く実感したのは、海外での生活を経験した時、どんな危険があるか分からないと、自然と全てのアンテナが敏感になるのを感じたから。

日本と比べたら遥かに危険が多いのは事実、日々の中に沢山の些細な危険が潜んでいると警戒して過ごした方がより快適だと気付かされたから。

沢山の人種が入り交じり、さまざまな感性の個性豊かな人々が、お互い生きやすいように配慮しながら生活している。今後の日本も、どんどんそうなっていく。自分が快適に生きるためには、自分もそうした事を頭の片隅にそっと置いておく必要がある。

見た目で判断する事はある、しかし、それが全てではない。むしろそうしてしまう事で自分の考えや行動を制限してしまう事がある。もったいない。

今の時代、リアルタイムで世界中の情報が得られる。そして、自分の情報も一瞬で知らせることが出来る。沢山の情報の中から嘘かホントか、真実を見抜くためには、全ての五感を働かせて生きた方がより自分を幸せにする選択を見つけ出すことが出来る。快適で豊かで幸せな暮らし。それは、見た目で判断せずに心の目も養うこと。文章も読むだけで文字から理解するのではなく、その背景を感じながらより深く理解する。それが、大切なこと。

明日もいい一日になるように、今日よりも心が豊かになる為に全ての五感で生きたい。

#エッセイ #見た目 #五感 #海外生活 #危険 #アンテナ



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