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新しい鉛筆を下ろした時


さっき、新しい鉛筆を下ろした時、ある記憶が蘇った。
シダーの木の香りがしたからかもしれない。


あるとき、母がわざわざデパートにわたしを連れて行き、鉛筆を1ダース買ってくれた。
小学生が使う「かきかた鉛筆」の類いとちょっと違い、上等な感じがした。
削ってしまうのがなんだか勿体無かったけど、MONO の鉛筆は、ものすごく書き心地がよかった。

その時と同じ、MONO のHBの鉛筆
インセンスシダーという柔らかな木材を使っているそうです


親は、わたしがテストでいい点を取っても、別に褒めなかった。「ああそう」という感じで、普通だった。

わたしにとっても、勉強はゲームの攻略みたいなもので、別に言われてやるものではなく、好きでやっていたことだった。
とくに目的もなかった。宇宙の本や、数学もどき(算数)は、宇宙のことを知りたかったから読んでいたけれど。

一方、弟のテストの点には一喜一憂していたし、クラスの友達が、いい成績を取ると何かを買って貰えることなどを嬉しそうに話していたので、自分はとくに何を買って貰えるでもなく、それはちょっと寂しさを感じていた。


今、思い出してみると、あの1ダースの MONO の鉛筆はとても嬉しかった。
プラスチックの専用ケースに入って売っていた。

母も、何を要求することもなく、何を求めることもなく、モクモクと勉強やピアノの練習に取り組む姿を見て、そのくらいはしてやりたいと思ったのではないか。

そのあと、もう一度だけ、高校受験の前にも、マークシートの試験に備えて、MONO の鉛筆を新調してくれた。

調べてみると、MONO がとくに上等な鉛筆ということでもないようだ。
小中学生のころと違って、大人になると、鉛筆を特に使わなければならない機会は少ないけれど、鉛筆で書く良さはカラダが覚えている気がする。
今も時折、鉛筆をわざわざ購入している。なんとなく、MONO の銘柄を指定してしまう。

瑞 真帆


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