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親という安全基地Vol.2

昨日は子供のねえ見て!ステップについて書いた。今日はその続きで、子供のねえ聞いて!ステップについて記事を書いて行こうと思う。

昨日も話したように、子供は無事にねえ見て!!ファーストステップを超えると、次のねえ聞いて!ステップに入る。

ねえ見て!と言って何をするにも親の関心を自分に向けなければいられなかった子供が、次は自分の話を聞け!とそう言い出す。

そんな子供をよくよく観察していると、どうやら、彼らは今度、自分の話をよく聞いて、それを親に理解して欲しいようなのである。

つい先日までねえ見て!と言っていたその子供が、今度は突然自分の話をよく聞いてそれを理解し、親に自分の話した事に対する何らかの返答をよこせとそう要求するようになる。

この時、子供の話をよく聞かずに適当に聞いて返事をしていると、ねえ見て!ステップで話した事と同じ反応を子供は起こす。

自分が一生懸命に話をしているのに、親がそうした子供の話に上の空で何か別の事を考えて、子供の言う事に適当な反応をすれば、まさに又子供は、あの親を殺してやろうか!という様な鋭い目つきで再び親を見る。

この時、親自身は何も気付いていないかもしれないが、子供のあの鋭い何もかもを貫き通すかのようなあの目によって少なからず親は何度か殺されている。でもやはり、そうした事に親は何も気付いてはいない。

セカンドステップに上がった子供は、とにかく自分の話を聞け!とそういう。いつでもどこにいても、ねえ見て!がねえ聞いて!に変わっただけであり、これもまたとことんまで聞いてあげないといけない。

ファーストステップでは、大人はねえ見て!という子供をただ見ていればそれでよかった。でも、セカンドステップになると、そうはいかない。

しっかりと子供の話を聞いていて、それに対して子供から意見を求められるようになる。しっかりと聞いていなければ、ちゃんとした返答は出来ないし、下手な返答をすれば、子供にはすぐにばれる。

この人、私の話をちゃんと聞いてくれていないし、何も理解してくれていないという事がバレバレになる。

そうした子供を見ていると、何故か親が子供にテーマを与えられて、それにこたえる事ができるか?と試されているかのように思わされてしまう。

現実世界では親が子供をコントロールしている様に見えるけれど、もしかしたら、親自身が子供にコントロールされ、その資質を試されているのではないだろうか?とさえ思わされてしまう。

セカンドステップに上がった子供は、自分の話した事に対して親が一体どういう意見を言うのか?持つのか?それがどうやら気になって気になって仕方がないらしい。

自分はこれこれこうでこうなんだ!で、親であるあなたは、子である私のこの意見に対して一体どのような意見をお持ちですか?というような感じで子供は親の目を覗き込む。

自分が提示した何らかのテーマについて、子供は親から何らかの意見を引き出そうとする。

何故、こんな事をするのかと思ってそうした子供をずっと観察してみた。

彼らは、自分の意見に対して親がどのような意見を持ち自分と関わろうとしているのか?その情報をリサーチしようとしているようだ。

自分の意見に対し、親がどのような意見を持ち、そして自分とどのようにかかわって行こうとしているのか?子供はここでも、親の資質というものを見ている様に思える。

子供は自分から色々なテーマを以って更に色々な角度から親に話しかけ、親が一体何をどう考えている人間であり、その親がこれから先、自分とどう関係を築いていこうとしているのか?まさにその情報をそうした事からリサーチしているのである。

あなたの意見を聞かせて下さい!!子供である私と親であるあなたがこれから一体どのような関係を結んでいこうとしているのか?それを聞かせて下さい!!親であるあなたのその意見や考えによっては、子供である私も自分の人生設計を変えていかなくてはならないし、かもすれば、今ある自分にも何らかの変革を及ぼさなければならないとそう子供は言っている様に私には思える。

まず親という存在が何をどう考え、どのような意見を持っている存在であるのかを子供はありとあらゆる方法を使って徹底的にリサーチする。

これでもか、これでもかというほどに親についての情報を徹底的にかき集めていく。この時の子供のこうした行動は、本当にこの親を信じ、自分の親としていいのか?それにふさわしい人物であるのかのか?という事を見ている様なそんな気がする。

親は子供に試されているのだ。親は自分の方が偉いと思っていて、自分が力を持っているとそう信じて疑わないものだから、まさか、自分の子供に自分の親である事がふさわしいかどうか?その査定をされているなんて1ミリも思わない。

子供というのは、自分の親を見て、その親が自分にふさわしい存在であるのかどうかを、ねえ聞いて!ステップで確認している。

子供は自分の話した事を親がどう解釈し、そしてそれを子供に返すかをずっと見ている。どんな解釈をしてどんな反応を起こすか?何を考え、何を思い、そしてどんな行動を親はするのか?それを子供というのは逐一その全てを見ている。まるで今はやりのAIの様だ。

何もかも親の全てが子供によって監視されているようなものだ。そしてAI同様子供は、自分の親が一体どういった存在であるのかというある程度の分析を終えると、その親を自分の中でこれまたAIと同じようにランク付けする。

こうした行動を通して子供は親を自分の中でどの立ち位置にするかを決める。自分の親を自分の中で低くランク付けした子供は、その親に自ら何の報酬も与えない。自分の親はそれにふさわしくないとそう判断するからだ。

逆に自分の中で高くランク付けした親に対しては、子供はより多くの報酬をその親に与えようとする。親を満たそうとするのだ。

子供というものは本当に精妙に出来ている。AIと遜色ないのではないかとすら思わされてしまう。

子供のねえ聞いて!にはこれだけの意味がある。親は子供のねえ聞いてによってその親としての資質をいつも見られて査定されているのである。

親が何を思い、考え、そしてどんな事をこれから先の人生に於いて体現しようとしているのか?子供である自分を含めてどんな未来を想像しているのか?そこまで子供は親のねえ聞いて!ステップで見極めようとしているのである。

この時、このねえ聞いてステップを親が上手く乗り越えていき、子供に高評価をもらえると、その後の子供との関係は良好なものになっていく。しかし、このねえ聞いて!第二ステップで親がしくじってしまい、子供から低評価をつけられてしまうと、この先の関係が難しいものになってしまう。

子供の心の中ではこうした複雑なシステムが常に働いているのである。

よく親たちはこういう。子供の考えている事なんて単純だから。そういう親ほど、自らの子供に低評価されているという事に気付かないといけないのではないだろうか?

子供は単純だからではない。子供は何よりも繊細であり、精妙に出来ている高機能型ロボットAIだ!!

単純なのは何も知らずに子供は単純な生き物だからとそう言っている親の方なのでは?とそう思わされてしまう事も少なくない。

ねえ聞いて!ステップに上がった子供たちは常に色々な親に関する情報を集めている。その自分で集めた情報を駆使して自らの親が一体どういったものであるのか?という判断を下す。そして子供は自分が親に対して下した判断を元に、その親にふさわしい行動を取る様になっていくのである。

子供というのは、まず親の在り方を見て査定してから、それから、そうした親に対して自分はどのような関わり合いをしていくべきなのか?を決定するものであるといえる。

今日はここまで。明日はねえ見て!ファーストステップ、ねえ聞いて!セカンドステップでしくじってしまった子供のその後について書いて行こうと思います。

今日も読んで下さりありがとうごさいました。










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