現実を鮮明にする知識が現実を捻じ曲げる知識に回帰したことによる歪み

知識とは本来、現実をより鮮明に説明するものであった、
少なくともそのようにあれと考えられていたものでしょう。

その姿勢が科学を生み技術を発展させ生産力向上につながり、
今日のような物質的に豊かな社会を築いた。

社会には余裕が生まれ個々人が昔より遥かに自由に自己実現を追い求め、
精神的に幸せな人生を目指すことが容易になった。

客観的には間違いなくそのようになったはずで、
しかし実際にはそうではなかったようである。

これまで余裕は精神を開放すると同時に人間の情報処理能力の限界により、
精神的な負荷を高め心の安定を崩していくという趣旨の記事を書いてきた。

人間社会は物質的に余裕ある社会を築くことには成功したけれど、
それに見合う精神的に成熟した社会を築きはしなかった。

と言うより歴史上ここまで広く大きく精神が解放された状況がなく、
今だ経験不足で手探りの状況であるというのが正しいでしょう。

問題なのは大多数の人がそのことに無自覚に思われることだと考える、
物質的にここまで豊かな社会を築いた人間、人間社会に対する、
大きな自負心が精神的にはさして成長してないという現実を直視させない。

それによって生まれるのが自己と現実の齟齬による精神的な負荷、
歪みと言い換えても良いものでそれが生きづらさなどと表現されている。

ようは物質的な余裕に釣り合う精神的な余裕が現代社会に広く存在しない。

それ故に精神的な負荷から何とかして逃れようとする人が増える、
その方法の1つが知識によって現実を捻じ曲げることだと考える。

それは別に珍しくはない、虚構を生み出しそれを真実に据えられる人間は、
現実に裏切られない限り虚構の中の真実に埋没して心の安定を得られる。

例えば地動説が事実だったけど天動説のほうが都合が良いから、
それを真実として据えていたキリスト教のように。

キリスト教の上層部、聖職者達が堕落し支配や抑圧、横暴が顕著になり、
民衆の心の安寧を崩すまで天動説が広く真実としてあり続けた。

安定が崩れ負荷の方が大きくなった時その権威を崩す道具の1つとして、
あるいは現実を捻じ曲げたことによる歪みが多くの齟齬を生み、
地動説という事実が真実としても語られるようになったのです。

ようは思想という虚構が現実に不都合を及ぼすまで真実として据えられる。

しかし宗教革命頃を転機にそんな思想偏重の考え方が害を及ぼすと、
周知され転換し思想や知識を現実を鮮明にするために使おうと。

そのように考える傾向が強まり科学の影響力が増していき、
自然科学の飛躍によって急速に影響力を強め、
冒頭でお話したように技術の発展を加速させ生産力が向上。

物質的な豊かさにつながった。

そしてその豊かさによる余裕が精神的な余裕を奪った、
と言うより精神の未熟さを露わにしたと先にお話しましたが、
その解決策として物質的な豊かさが実現する前の方法が活用されている。

思想、知識偏重による現実の捻じ曲げが起きているのが現代社会だと思う。

特に精神は目に見えるものじゃない、脳科学などは発展したけれど、
一般人からすれば知識等をいくら教えられたところで実感はしづらい。

こういう脳の機能があってそれが精神的な負荷につながってるよとか、
そんなことを言われても即座に精神的な負荷が和らぐことはそうない。

ですから都合のよい知識や思想、考え方を真実と据えることで、
時に抑圧や分断を生み出すとは言わないまでも過大評価しながら、
それを敵とみなし過剰に攻撃したり批判することで精神を安定させる。

見えづらい精神的なあり方はそれに反論し納得させることも難しいので、
時にそれは大きな力、権威や権力となって社会に影響を与えます。

それが悪影響だった場合、当然ながら社会構造が揺らぎ、
様々な軋轢を生みそれこそ先に話した聖職者達の横暴のように、
より多くの人に対する抑圧や時に支配までをも生むでしょう。

しかし昔と違うのは物質的には余裕があるため多少社会が揺らいでも、
それによる歪みを吸収し表面的には変わらず余裕があるように見えること。

ですが実際には確実にダメージが蓄積されている、
徐々にとは言え余裕が失われていっている。

結果、現実を鮮明にするための知識が再び現実を捻じ曲げる知識になり、
歪みを生み現実を揺らがせ全体的な余裕を奪っていくことにつながる。

であれば先に待っているのは宗教革命と同じような社会の大分断、
武力による戦争のようにはならずとも様々な場面で様々な形で、
衝突が起き連鎖的に精神的にも物質的にも余裕が失われていく。

過去のあらゆる余裕がない状況への回帰であるように思えるのです。

これが杞憂で終わればそれでも良いのですが少なくとも、
現実を捻じ曲げる知識の使い方は間違いなく社会に広まっている、
それを意識的に、あるいは無自覚に広める人が存在するのは確かに思う。

それが社会の余裕が吸収できる許容量を超えるまで暴走し、
先の過去への回帰という可能性を引き当てるのか。

それともどこかの段階でしっかり現実を直視し新たな道を模索し、
精神的にも成熟した社会へと向かっていくのか。

あるいは想定できないまったく別の何かがあるのかは、
現時点ではなんとも言えません。

ただ、どうなるせよ社会に所属する1人1人がどのように考え、
どのように行動するかが大事になるのは確かでしょう。

それを少しでもより良いものとするためにお話してきた、
現実を捻じ曲げる知識の使い方が顕著になっている傾向があると、
自覚しておくことがまず大事であるのではないかと。

そう思ったというお話です。


では、今回はここまでです。
ありがとうございました。

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