物質的な豊かさは無条件に精神的な豊かさを与えてはくれない

物質的な豊かさを得ればもっと幸せになれる。

これは大半の人間が持っていた理想であったと思いますし人間の歴史は、
物質的な豊かさを追い求める大きな流れだったと言っていいでしょう

それが知識や技術、つまりは生産力を引き上げるといった方法だったり、
武力や思想による支配や抑圧であったりと方向性は様々ですが、
総じて自分や自分が所属する集団をより豊かにしたい。

そういう思いが根底にあったとことは確かだと思います。

その理想は現代において少なくとも過去と比べれば現実となった、
先進国と呼ばれるような国はただ生きるだけなら困らないだけの、
生産力や社会構造を確立し物質的な豊かさを享受している。

では、それ故に人間は全体的に幸せになったのかと言えば、
実際にはそうなっていないように思う。

日本やアメリカで精神的な病を患う人が増えているというデータは多い、
物質的に満たされ自由主義を掲げ人権に配慮されている。

個々人を縛るものはもちろんあれど繰り返しになりますが、
少なくとも過去と比べれば間違いなく全体として豊かになっている。

日本に至っては社会環境も良好で安全等も他国に比べれば保証されている、
個々人が自身が求めるものを追求する環境が整っていると言えるでしょう。

なのになぜ精神的に大きく満たされたような傾向がないのか?
生きづらさなどの言葉が一般的になる程むしろ後退したように見えるのか?

個人的に考えるのはそもそも物質的な豊かさが精神的な豊かさにつながる、
衣食住や安全が満たされ自分を持てる余裕が精神をより良くする。

そんな理想それ自体が幻想であったということ。

物資的な豊かさは精神的な豊かさを無条件で与えてはくれないのです。

と言うのも、まず人間の精神、思考は処理できる情報に限界がある、
特に自覚できる意識は複雑な情報処理を可能とする代わりに、
エネルギー消費も多く認識範囲も狭い。

それはつまり複数の情報を処理するというのは思考にとって負荷、
処理能力等には個人差があれど誰であれ限界があるため、
良かれ悪しかれ処理対象が増えればその性質故に基本精神は摩耗する。

ですから精神の安定にとっては物質的に余裕がないことも大事だった、
余裕がなければ余裕という1つの理想に焦点を合わせるだけで良かったし、
あるいは宗教など信じられる規範に沿い休息することもできたからです。

ですが余裕が生まれれば生まれるほど精神は解放されていく、
生きるという至上命題を完全に克服すれば後は何をしても良い、
少なくとも精神的には無限にも思える選択肢が広がっている。

だけどそれは先に話したように情報処理能力に限界がある人間にとって、
基本的には負荷となり1つ1つ意思決定し選択し言動に反映させる度に、
それによって定まる結果の1つ1つが精神を弱らせていく。

とは言え処理能力には個人差がある、つまり精神的な許容量が違う、
許容量の大きい人ほど多くの情報を処理しより最善の何かを選び取れる。

故に現代のように比較的自由が許されるような社会では、
より情報処理能力の高い人間がそうでない人間を抑圧する、
あるいは精神的な信仰対象となりある種の理想や規範となる。

他者の生産力等を搾取し物質的にはさらに富むことが許される、
しかし繰り返しになりますが物質的に余裕が生まれ精神が解放されるほど、
精神的な負荷は大きく強くなっていく。

どれだけ処理能力が高くともいずれ限界が来る、
そして耐えきれなくなると意識的な側面が劣化し、
自覚的により良いということを何も考えられなくなっていく。

倫理道徳や規範意識が失われた状況が生まれると言ってもいいでしょう。

例えば日本でもようやく報道されるようになったエプスタイン島事件。

規模が大きいうえに関係者に大物が多く情報が出回りにくいと考えられ、
今だにその全体像は明らかになってないのですがざっくり言えば。

ジェフリー・エプスタインというアメリカの大金持ちが、
主にエプスタイン島と呼ばれる所持島で小児の人身売買を行っていた。

島に訪問した人のリストは米裁判所で公式に公開されたものから、
被害者とされる人の証言を元に作成されたもの、
真偽のはっきりしないSNS上のものまで多数存在する。

なお公開された裁判資料は900ページほどありますが誰でも見られるため、
興味があれば読んでみてはと思います。

現在ではカニバリズムとか悪魔崇拝とか陰謀論的な話もでてきてますが、
少なくとも小児をエプスタイン島で売買していたのは確かなようであり、
ジェフリー・エプスタインは逮捕され後に刑務所で自殺しています。

それがますます口封じだなどの説を燃え上がらせているのが現状です。

個人的には真偽がはっきりするまで断定することは控えたいですが、
真偽様々な訪問者のリストにはビル・ゲイツなどの大物実業家、
マイケル・ジャクソンやハーヴェイ・ワインスタインなど芸能関係者。

英国のチャールズ3世の弟、アンドルー王子や、
サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマーン王太子などの要人まで。

日本からも森喜朗元総理大臣や明仁上皇陛下の名前まである。

他にも様々な成功者や権力者と呼ばれるような人間が、
多数訪問し関与した疑惑が浮上した人もいて、
世界的にも大きな注目を集めています。

繰り返しになりますが現時点でどの人が実際に訪問し、
どれだけ関与していたのかは断言できるほど情報が出ていない。

ですが先に話したように少なくとも小児の人身売買は確かなようであり、
同時にこういう事件が起きてしまうことが人間の精神の限界。

あまりにも解放された精神は複雑に絡み合う諸要素から生まれる選択肢、
それらを処理できず最終的に衝動的な言動へと駆り立てる。

加えて比較的に自由が許される現代では先に話したように、
精神の解放と権力等の集約は同義であり故に処理能力が高い人ほど、
精神が解放され選択肢が広がりだけどそれに耐えきれなくなった時。

衝動的な反動もより大きく時に悪質になってしまう、
エプスタイン島事件のような状況を作り出すのではと考える。

いろいろお話してきましたがようは人間や現代の人間社会において、
物質的な豊かさによって生まれる精神の解放についていくだけの、
能力や構造を有していないが故に精神的な余裕が生まれないのだと思う。

人間は数万年前から脳の構造は進化してないと言われていますが、
それはつまり物質的な余裕が少なかった過去の状況から個体で見れば、
情報処理能力という面ではそこまで大きく進歩してないということ。

それを人間社会全体による知識や情報の積み重ね、
教育などの構造によって補い進歩してきた。

そうして現代のように物質的な豊かさを実現するに至りましたが、
それによって大きく広く解放された精神を御することは個人としても、
人間社会全体としても経験のないことであり今だ模索している段階。

故に迷走していると言える状況が世界各地で起こっているのだと思う。

大事なのはそういう前提を理解しておくことでしょう。

物質的な余裕が無条件で精神的な余裕を生むわけではないこと、
全体的に模索している段階であるが故に今だ確たる道を、
社会、世界全体としても示すことができないこと。

それを理解したうえでじゃあ個人としてどのように生きることが、
精神的な余裕、豊かさを生むことにつながるかを考える。

現代のような精神的なものが原因の混迷の時代を生きるうえで、
そういう考え方が大事になってくるのではないか。

そしてそういう考え方ができる個人が増えれば引いては、
社会や世界全体としてより良いあり方を模索できるのではと思うのです。


では、今回はここまでです。
ありがとうございました。

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