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キャリア的視点178 -いじめを考える:子供たちの笑顔を守るために-


毎日ブログ 178日目(2020/8/24)

9月1日

皆さんは毎年9月1日はどんな日かご存知でしょうか?
地域によっても変わりますが、夏休みが終了し2学期が始まる日です。

そしてこの日は、
「過去の統計上、年で最も子供たちの自殺件数が多い日」
なのだそうです。

1学期の間のいじめに悩む子供たちが、新学期の学校が始まる事で絶望し、逃れる為に命を絶つ。これがこの日に自殺者が多くなる理由だと推察されています。

お山座り

今年はコロナ禍の影響もあって、私が住む地域では今日、8月24日が2学期の始まる日なのです。また他の地域では既に始まっている地域も多くあると聞いています。
その意味では今年も同じ理由で子供たちの自殺があるのであれば、分散されることになり、9/1の統計的な数字ではなく、新学期初日の数字という統計になるのだと思いますが、非常に残念な日にちであり、数字です。

そもそも、なぜ「いじめ」などというものが起きるのでしょうか? いろいろな方が様々な発表をしています。さすがに私もそのほとんどを読んでいる訳でもありません。ですのでこの先は私なりの推論です。それこそ統計とかアンケートとかを取っている訳でもありませんので私の個人的主観による無責任な推論です。

人は弱い生き物だから

なぜ「いじめ」が起きてしまうのか… なぜ「いじめ」は起きるのか。
それは、「人が弱い生き物だから」なのだと思うのです。この場合の「弱い」というのは精神的な弱さ、脆さを言っています。
ここからは人間の弱い面をピックアップしていきます。表現がネガティブになっていることはご容赦ください。

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ひとりで生きていく事は、寂しくてできません。誰かと関わりを持つことで、やっと自分を確立することができるのが人です。

誰かと比較して、狭い範囲で自分の優位を確認して、初めて胸を張れるようになる人がいます。

「自分」を優位に見せる為に、誰か他人を引きずり下ろす、足を引っ張る事をする人もいます。自分のだけの利益のために他者を傷付けることを厭わない人がいるのは事実です。

まさに「弱い犬ほどよく吠える」なんだと思います。弱い自分を見透かされないために虚勢を張り、武力で押さえつけようとするのです。
これがいじめの根源なのだと思うのです。

ネット世界における「名前も顔も隠して誹謗中傷を行う」というのも、正にその表れで、顔を出せば自分が非難されることをわかっているから顔を出さないで言いたいことを書き込むのです。心の弱い人の仕業なのだと思います。

優しさの報い

反対にいじめられる側はどうなんでしょうか。

他人に対して優しい人は、人を傷つけることを嫌います。傷つく事の痛みを知っているからです。
だから攻撃を受けた時には、固まってしまうのです。自分が傷つくことを恐れるあまりに。
そして相手が傷つく事すら嫌で、その優しさから反撃ができなくなってしまうのです。
その結果、標的にされてしまうのです。

「あいつは何をやっても反撃してこない。だから俺は傷つかなくていい」
加害者側の一方的で自分勝手な理論が発生しているのです。

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残念ですが大人の社会でもいじめはあります。
二人以上いればそこは組織です。家族であっても組織には違いがないのです。組織の中では多くの場合が優劣関係が発生し、それがやがて上下関係に変化していきます。

大人の世界のいじめはハラスメントと言われますが、要はいじめです。自分の優位性を確認するために他人の嫌がる事を行うのです。
大人になって社会性を身に着けているはずなのに、です。

他人は自分と違っていて当たり前、自分も他人も同じ人などいない唯一無二の貴重な存在であり、いろいろな人がいる方こそ助け合えるのに。
それを多様性=ダイバーシティと言いますが、多様性という概念だけでは解決しないのがいじめ問題です。

いじめ防止法

2020年6月1日に通称・パワハラ防止法が施行されました。これは一部大企業のみで、中小企業以下は努力義務でしかありません。
ですが、第一歩進みました。
パワハラの定義も明確になり、刑事罰も設定されました。努力義務の中小企業も2022年4月1日から施行になり、パワハラが発覚したら、逮捕者が出て会社の信用もガタ落ちです。

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しかし、学校の中は治外法権です。少なくともパワハラ防止法は子供達には適用されません。そしてその他の様々な法律が被害者を追い詰め、加害者を擁護します
学校も信用を落とさないために「いじめの存在は確認されませんでした」と事実を隠蔽します。これが更に被害者を孤立させてしまうのです。

子供は残酷です。無邪気な子ほど体の痛みは知っていても、心の痛みを知らないのです。だからこそエスカレートしてしまうのです。
子供の世界にこそ「いじめ防止法」と明確ないじめの定義が必要な気がするのは私だけでしょうか。

追い詰められた被害者の、心を、尊厳を、命を救うために。

心配なのは、学生時代に他人を虐めていた人が、社会人になって昇進して部下を持った時、他人との接し方を「いじめ」でしか知らない場合、悲劇が繰り返されるのではないかということです。

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これからの子供たちの笑顔をまもるために、私達には何ができるのでしょうか。いろいろと考えましたが、結論はやはりこれでした。

「SOSを見逃さない」

学校の先生が、地域の大人が、何より養育者(親)が、しっかりと子供たちを看て、子供たちの話を聴いて、ちょっとした変化に気付くことが大切なんだと私も思います。

まずは今晩から、今日の学校の話を聴くようにしませんか?
今できる事を一つずつ始めていきましょう。


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