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最近の異世界転生ものの流行について考える

異世界転生ものが流行っているようだ。
最近流行っている異世界転生ものに共通する構造、その意味することについて考えたい。

結論は、
最近流行っている異世界転生ものには、情報格差を利用して無双するという共通の構造がある。これは19世紀から20世紀にかけて先進国が発展途上国から富を搾取してきた構造と共通している。異世界転生ものの魅力とは、今は失われてしまった、古き良き世界史的成功体験を追体験できる点にあり、現実逃避の快楽である。こうした異世界転生ものが流行していることは、裏返せば、グローバル化が進展し、格差がなくなってしまったことのしんどさを表している。
というものだ。

異世界転生ものの典型的な筋とは、以下のようなものだ。
1主人公は物語冒頭、特別な力を持った状態で、現代日本から異世界へ転生する。
2その後、主人公は、異世界の様々な珍しい風俗・世界観を体験しながら、冒頭に手に入れた特別な力によって危なげなく物語を進めていく。
この定義に当てはまるものとして、強くてニューゲーム系の物語があるが、これも異世界転生ものの一種と考えて問題ないと思う。

現実があまりにも辛いから、こうした主人公が無双する現実逃避の物語が作られるのだ
という指摘は繰り返しされてきた。

さらによくみてみると、こうした物語の構造が19世紀の帝国主義国が後進国に向けていた眼差しと酷似していることがみて取れる。

自分と相手の圧倒的な力の差。
と同時に、
相手を未知の魅力を秘めた、エキゾチックなものとして向ける眼差し。

こうしてみてみると、現実が辛いから現実逃避する、その辛さの正体が見えてくる。
言ってみれば、世界史的な辛さなのだ。
帝国主義国家の快楽とは、彼我の圧倒的な力の差と相手が未知であることだった。今、世界の一体化は進み、かつてのように国家間の力の差を背景とした搾取は形を変えた。個人にとって競争相手は世界中の同業者になり、日本という先進国に生まれたことによって、下駄を履かせてもらえていた部分が減った。世界の情報化・商品化が進み、世界から秘境・異国情緒が消えた。グーグルアースを使えば家にいながらアマゾンの熱帯雨林を観察できるし、どこに旅行してもマクドナルドを見つけることができる。

異世界転生ものに現実逃避してつかの間忘れられる現実の辛さとは、実力主義で果てない競争に巻き込まれるしんどさであり、世界が便利で均一になった結果、ロマンを抱けなくなったつまらなさということになる。

異世界転生ものの主人公が多くの場合、SEであるという点も示唆的だ。労働集約率が高く、情報へのアクセサビリティが高いと思われる職種だからだ。

異世界転生ものは今後、どこにいくのだろうか。
ハーレクーイーンというジャンルがある。女性向けの白馬の王子様が平凡な女性を愛してくれるといった現実逃避のなんとも言えない魅力に満ちた読み物だ。が、近年とみに読者の高齢化が進んでいると聞く。異世界転生ものも閉じた読者ー書き手コミニティの中でゆっくりと衰退していくのだろうか。安土桃山時代に大成した茶の湯も戦国時代からの現実逃避という面を持っていた。が、侘び寂び という核となる概念の確立に及び、他方面の文化に影響を与えて今に至る。異世界転生ものは交雑とアップデートを重ねていけるだろうか。

異世界転生ものの流行に今の社会的条件が関係しているとすれば、その条件は時間とともに確実に変化する。AIに人間の仕事が奪われて、無用階級なる人々が生まれたとき、どう現実逃避するのだろうか。その対象が異世界転生ものであるか否かは、ジャンルの特性や限界に加えて時代の空気に自覚的な読み手と書き手の有無によると思われる。

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