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【小説】奔波の先に~井上馨と伊藤博文~#150

26 明治14年の政変(4)

 その頃馨は疲労が積み重なったのか、記憶力に自信が持てず、気力も弱まり、頭痛も頻繁に起きていた。医師の診断を受けると、静養が必要だと言われた。そこで、東京から離れた温泉で療養をしようと考えた。
「武さん、少し相談があるんじゃが」
「どうかしましたか」
「最近頭痛がとれんし、色々だるいんでベルツ先生に見てもらったんじゃ」
「まぁ、そのようなこと、私には仰ってくださらなかったのですか」
「まぁ、そうじゃな。武さんに心配をの、かけとうなかったんじゃ」
「馨さん、そのような心配は、御無用ですよ」
「そうじゃな、すまんかった」
「随分素直でらっしゃいますね。あの…申し訳ございません。本当にお疲れなのですね」
「武さん、ええよ」
 馨は武子に向き直って、改めて言った。
「それで、城崎温泉に行って、湯治でもしてこようかと考えたんじゃ」
「城崎でございますか」
「日本海側じゃな。但馬にあるんじゃ。温泉街にもなっとるし、面白いところらしいの」
「ごゆっくりなさるのは、よろしいことですね」
「武さんも、一緒に湯治に行かんか」
「私もですか。よろしいことですね。あっ、そうですね。馨さんがきちんと、静養されているか、見張らせて頂きます」
 武子がいたずらをした、子供のような目で馨を見て笑った。
「わしも、武さんに見張られるなら、大人しくするかの」

 そうして、城崎に着いてしばらく経った。馨は、囲碁すら禁じられているので、ひたすら詩作に励んでいる。だいぶ良くなってきたので、今度は安芸の宮島で海水浴しようと考えていると、博文に文を送った。

 博文は、有栖川宮から見せられた、大隈の意見書を読んで当惑していた。
 福沢諭吉に影響を受けているのが明らかな、イギリスの議会制度を参考にした内容だった。議院内閣制、政党、政権交代、そして拙速とも思える憲法制定と議会開設。福沢諭吉の交詢社がだした憲法案にも、同じキーワードが並んでいたのだ。
 馨からはプロシアを参考にした、欽定憲法を提案されていた。しかし、これを読んだら馨はどう考えるのか、博文には不安もあった。療養中で安芸の宮島に居る、馨との距離がもどかしかった。
 やはり、大隈は信用できない。大隈を排除するために、馨には協力を確認する文を、送らなくてはならないと、博文は急いだ。大隈のこの案に、一番共感を持ちそうなのは、井上馨なのだ。

 また、福沢は大隈に相談を持ちかけていた。
「新聞の件、まだはっきりなされないのですか」
「一番熱心だった、井上が療養から戻らないのである。井上が戻らないのでは、詳しい話はできないのである」
「大隈さんは、意見書をお出しになったのですか」
「意見書か、小野などに手伝ってもらって作成した。福沢さんの交詢社の試案は良いものであるな」
「それはありがたい事です。政府の中でご理解いただける方が増えてこそ、議会や憲法の運用が新しい時代に沿うものとなりましょう」
 いつの間にか、福沢は大隈に信頼を置くようになっていた。

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