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【小説】奔波の先に~聞多と俊輔~#133

24 維新の終わり(4)

 馨は家主のハミリーの助言を受けながら、経済学の本を読むことにした。そしてジョン・ステュアート・ミルの「自由論」の講義も受けた。他にも英語の教授のもとにも行き語学力を高めることもしていた。
 日課の散歩の一環として、日本公使館に顔をだすことも忘れなかった。留学生たちとの購読会はそういう日常の良いペースメイカーにもなっていた。しかも、その内容に即した議論をすることは、彼らの新しい知識をえることであり、自分の経験を伝えることでもある。有為な人材に、現実の困難さを教えることができるのは、とても意味があると思えた。
 武子の語学にについてはちょっとした壁があった。当初家事と日常のことを含めて英語も家政婦のキャシーに見てもらい、末子とマナーやダンスを家庭教師から学ぶ予定だったが、すこし慇懃さが気になってしまって、質問がしにくくなってしまった。
 そこで、留学生チームの助けを得ながら英語を学ぶことにした。彼らは末子の遊び相手もしてくれるようになっていた。
 またハミリー夫人とも打ち解けて、余裕が出てくると武子も何か新しいことをやりたくなった。日本に帰ってからのことを考えると、この洋装を自分で仕立てられるようになるのも、実用的ではないかと考えた。
「あなた、お茶にしましょう」
 武子が馨の書斎をノックして、声をかけた。
 天気の良い日はガーデンテラスで気分転換をする。紅茶にスコーン、ジャムを変えていけば十分だった。
「はい、どうぞお召し上がりください」
「あぁ今日はオレンジのジャムか」
「あなた、少しお話が」
「なんじゃ。あらたまって」
「あなたが、お勉強している時間を使って、私も習いたいことができました」
「そりゃええことじゃ。で、何をやるつもりじゃ」
「お裁縫を。このドレスといった洋装の仕立てをやってみようと思います」
「ふむ、日本に帰っても役に立ちそうじゃな」
「それで、お願いなのですが。ミシンという裁縫用の道具を買っていただきたいのですが」
「いくらぐらいかの」
「20ポンド位かと」
「けっこうな代物じゃな」
 さすがに馨も考えたが、消えるものではなし武子のやりたいことというのも、なかなかないだろうと決断した。
「わかった。これから使うものじゃ。気に入ったものを買うがええ」
「あぁよかった。頑張ります」
 武子の目が輝いている。この輝きこそ馨には、大事にしているものがあると思うと、うれしかった。

 12月を迎えると、ロンドンはクリスマスシーズンになった。この時期になるとクリスマス休暇で教授達もロンドンを去ることになっていた。勉学に向かないということで、、馨達一家もクリスマスを楽しむことにした。
 まずパリに行くと、きらびやかなシャンゼリゼ通りが目を引いた。通りの華やかさは勿論、並ぶ店も武子の興味をふくらませていた。
「皆さんの服も、これが最先端というもの、なのでしょうね」
「そうじゃな。かなりロンドンとは趣が違うの」
「貴方もパリは初めてでしたね」
「渋沢に聞いとったが、見るのはやっぱり違うの」
「まぁ、あれは随分きれいなお店ですね」
「ジュエリーショップじゃな」
 武子がスッと中に入ってしまった。
「えっ。おい」
 馨も続いて入ってしまった。
 店員が「今日は何かご用ですか」と二人に声をかけた。
 武子は店員に微笑むと、覚えた英語で話しかけていた。ネックレスやペンダント、イヤリング等など眺めていると、指輪のところで目が釘付けになっていた。この店の品の値段を見ていた馨は、顔が引き攣るのを覚えた。値札のないもののほうが多かったが。そっと武子に近づくと声をかけた。
「武さんちょっと。この店は……」
「貴方様の茶器の一揃に比べればお安いかと」
「うむ」
 馨にとって痛いところをつかれてしまった。こっそり買った品々が頭に浮かんで消えていった。
「わかった。好きなのを選べ」
 まさか店の中で口論をするわけにもいかず、武子の選んだ1カラットのダイヤの指輪を買うことにした。こうして、朝鮮派遣の功労金も減っていくことになった。武子の望みはまだ続いていく。
 また違う機会に、街を歩いていると、色とりどりの様々な形の服が飾られているブティックの前で足を止めていた。
 くるっと馨の方を見て、にこっと微笑んだ。
「貴方、こういう上着もあると、このパリに馴染むと思うんですけど」
 だんだん、武子のねだり方がうまくなってきたようで、馨も日本での様々なことを考えると、負けることが多くなっていた。武子の笑顔につい財布の紐が緩んでいた。
 赤い華やかなリボンが印象的なマントを身に着けた武子の、ヨーロッパの女性に負けない美しさが誇らしかった。とはいっても、末子の服も含めて、予想以上の支出につい博文に、文で愚痴が出てくる。
「生活費よりも問題なのは婦人方のかかりで、とくに服には困惑してる。その分自分は身なりに構うのをやめてしまった。これはこれで気が楽だ」

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