見出し画像

FTMが男性なのかという問題

トランスジェンダーの彼と付き合っていて、友達に彼と付き合ったことを紹介するときに、あえてトランスジェンダーであることを隠さずに説明していました。説明する必要はないのだけど、隠す必要もないと思っていたから。

説明した後に、友達に言われたことがある。
「好きになったことについて、なぜ好きになったのか説明しなくてはいけないのがつらいね」って。

確かにその通りだ。
「どこが好きなのか」という問いは恐らく誰でもされるものだけど、わたしがいつも問われていたのは、「なぜ、トランスジェンダーの彼を好きになったのか」ということだったような気がする。

ただ単純に人を好きになっただけだった。そのひとがたまたまトランスジェンダーだっただけだ。でも、そこには説明が必要だった。

説明せずに過ごしていると、「彼は男の子?」と聞いてくる人もいて。面倒だったので「男の子だよ」と答えると「女の子みたいだね!」と返ってきたりした。こんな会話をしたあとは、必ず、この人とは感覚があわないからもう付き合うのはやめようと思ったものだ。

「彼は男の子?」と聞いてくる人の中には、「わたし(ぼく)はLGBTに理解があるから隠さなくてもいいよ」と誇らしげな顔をしてくる人もいたけれど、そのたびに本当にかかわるのをやめようと心にきめた。

理解があるのであれば、彼が男性でも女性でもどっちでもいいじゃないか。あえて聞いている時点で、本当の意味で理解なんてしていない。本当に理解のある人は、性別なんて関係なく、一人の人としてすべての人を受け入れることができる。あえて男性か女性かを問うなんてことしないことをわたしは知っている。本当に大切なことは、性別以外にたくさんある。

もうひとつ、よく聞かれたことがある。「彼のことを男性としてすきなのか」ということ。

男性か女性かで答えないといけないのだとしたら、「男性として」が正解だと思う。女性だと思ったことはなかったから。でも、実際はもっと複雑だった。一般的な「男性」とは明らかに違うのだから。

ホルモン注射をうっていないと月に1回生理がきたり、声が高かったり。女性をおもわせる名前だったり。胸があったり。いろいろ。

それでも、わたしの中ではどんな時も、彼は、男でも女でもトランスジェンダーでもなく、彼だった。きれいごとではなく、人間として存在する彼が好きだったのだと思う。一言ではあらわらせない感情が、いつもどこかにあった。

否定されないだけよいと、自分の中でなんとか消化していた感情。
否定されないことと、理解すること。理解することと、納得することが違うということを誰よりも感じながら。

ここから先は

0字

20代の前半。4年間ほどお付き合いしたトランスジェンダー(FTM)のパートナーとの日々の記録。 有料記事に変更しました。単体でも記事を購…

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

読んでいただきありがとうございます^^今後もnoteを運営していくための創作費として使わせていただきます🌱