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東京に雪がつもった。

2022年1月6日。東京に雪が積もった。東京都23区で大雪警報がでたのは、4年ぶりらしい。

積雪は久しぶりだなーと思ってはいたけれど、4年ぶりとは思わなかったな。

4年前のわたし

4年前。雪が降ったことは今でもよく覚えている。積もったかどうかは正直あまり覚えてはいない。寒くて、雪が降っていることにすこし苛立っていた。

私は2月1日に妊娠がわかり、ひどい悪阻におそわれて水すらも飲めず、婦人科クリニックに点滴を打ちに通っていた。

妊娠がわかった3週間後。妊婦健診にいくと先生がいつもの調子でこう言った。

「ふたりだね。」

なにを言っているのかわからなくて、「ふたりですか?」と鼻で笑った記憶がある。

看護師さんが「急にそんなこと言われても困るよね。一旦落ち着こうね」と言ってなぜか私をベットに寝かせた。

「ふたりだね」の意味を未だに理解できていない私は、なぜベットで寝転がる必要があるのかもわからない。

でも、急にみんなが慌ただしくなったことだけは確かだった。そして、さっきまで冷静だった先生が少し焦りの混じった真面目な表情でこう続けた。

「もうここでは診られない。招待状を書くから今すぐに大学病院に行って。どう転んでも難しい出産になるよ」

そこでようやく、私のお腹には2人の赤ちゃんがいて、双子を産むのはとてもむずかしいことなのだと知った。

子どもはひとりでいい、はずがなかった

大学病院にいって、最新の3Dエコーでふたりを確認した。ひとりだと思っていた赤ちゃんの隣に、一回り小さい赤ちゃんがもうひとりいた。

仕事中なことはお構いなしに、夫さんにLINEを送りつける。すぐに返信がきた。

「まじでー!!!」

夫さんの反応は、一旦これだけだった。

どんな顔をして帰ってくるのだろうと不安に思っていたけれど、すごい興奮した笑顔で「双子なの!?」と勢いよく部屋に入ってきた夫さんをみて安心したことを覚えている。

「俺が、子どもはひとりでいいって言ったからかもね。」

夫さんはそう言っていた。

妊娠がわかったあとに、子どもは何人欲しいかという話をしたことが、確かにあった。

私と夫さんはどちらも2人兄妹(姉妹)で、お互いに今でも仲がいい。私に関していえば、毎日LINEで連絡をとるほど。

だからどこかで子どもはふたりいたらいいな、という思いがあった。

でも、正直今回の妊娠は計画的なものではなかったし、当時まだ28歳でこれからやりたいこともいろいろあった。それに、私は生理不順がひどくて、ふたりめを無事に妊娠できる自信は、正直あまりなかった。

だから、「子どもはひとりで十分だよね」と夫さんは言っていた。

私もしぶしぶ「そうだね」と返した。けれど、子どもはひとりでいいはずなかったんだね。

「そんなこと言ったら、私に会えないのよ!」

と、言わんばかりに私のお腹の中にはふたりの赤ちゃんがいた。

大きいお腹と小さいままの赤ちゃん

先生から言われたこと。

「好きなだけ食べなさい。できるだけ家にいなさい。双子の妊婦に安定期はありません」

できるだけ言われたことを守るために、その後すぐに里帰りして、夫さんとは別居生活になった。その後、実家の近くに夫さんが引っ越してきた。

みんなに支えてもらって、なんとか日々を過ごしてきたけれど、先生のいう通り、安定期の妊娠5ヶ月目に入ったときには、私のお腹はもう妊娠7ヶ月ほどの大きさまできていた。

急激に大きくなるお腹に身体がついていかない。悪阻が治まってご飯が食べられるようになったと思ったら、お腹が赤ちゃんに圧迫されて食欲がでない。

同じ頃に妊娠した友人は、安定期に入り国内旅行にいっていた。そんなとき私は、安産祈願すらまともに楽しめなかった。

その頃から、ふたりの赤ちゃんの体格差が顕著に現れてきた。

ひとりは平均値に近い成長速度で大きくなっているけれど、もうひとりはなかなか成長が進まない。大きくなっていないわけではないけれど、成長速度がゆっくりだった。

「どんなかたちでもいいから、とにかくふたりとも生まれてきますように」

毎日祈るように過ごした。

妊娠高血圧症候群と緊急入院、そして出産

子どもの成長がなかなか進まず、不安な日々を過ごしていたのとは裏腹に、私はのんきに臨月まで子どもがお腹の中にいると思いこんでいた。

そんなはずもなく、私は妊娠高血圧症候群になり、その影響もあいまって、さらに小さい方の赤ちゃんの成長が鈍化した。

週に1回の妊婦健診で病院に向かい、そのまま緊急入院でMFICUという、とにかく安静第一の妊婦さんがいる病棟に入院した。

入院生活、どのぐらい続くのかな......私は未だにそんなことを流暢に考えていた。

そんなに長く入院生活が続くわけもなく、3日後緊急帝王切開となり、なんとか無事にふたりとも私の子どもとして生まれてきてくれた。妊娠33週3日だった。

「産まれましたよ」と見せてもらった赤ちゃん。

「ちいさい......」

それしか言葉がでてこなかった。1900gと1300g。

そこから双子は50日間のNICUとGCUでの入院生活がスタート。毎日母乳をあげに病院に通った。

ただ生きてさえいればそれでいい

入院生活が終わってからの記憶は正直ほぼない。毎日細切れに1時間ほどしか眠れない。朝になって母の顔をみた途端、涙があふれて止まらなかったときもある。

ミルクを1人1日8回、オムツ替えを1人1日10回。寝かしつけして、お風呂に入れて、ミルクを吐き戻しては着替えさせる。

1歳になるまでは月に1回、病院に定期検診に通い、ふたりの成長を確かめる。

早く産まれたことによって、成長速度が遅いことも多い。でも、他の子どもと比べたりしたことは今のところ一度もない。

とにかくずっと産まれてきてほしかった。自分のペースでいいから、大きくなって、どうしてもふたりに会いたかった。

生きてさえいれば、それで良かった。

2022年1月6日。東京に雪が積もった

そして妊娠から約4年たった2022年1月6日。東京に4年ぶりに雪が積もった。

双子たちにとって、これがはじめての積雪になった。

「ゆきー!ゆきだよー!」

大声で叫ぶふたりを喜ばせたくて、タクシーを呼びたいのが本音だけれど、重い腰を持ち上げてベビーカーをとりだし、保育園まで向かう。

木や電線につもった雪が、何かのタイミングでかたまりとなって落ちてくる。ベビーカーの屋根にあたり跳ね返ってきた雪が双子の手にのった。

「ゆきおちてきたよー!」

嬉しそうに喜ぶ双子が乗るベビーカーを押しながら、私は雪まみれになっている。寒い。

それでも、今年の雪は4年前の何倍もきれいで、私の心を温かくさせた。

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