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著名人の政治発言は何故叩かれるのか

最近、Twitter上で「 #検察庁法改正案に抗議します 」というツイートが爆発的に増えた。私もそのタグだけ付けてツイートした。とにかく政府の目に届くことが重要だと思ったから。

ところで、この件について著名人が多くツイートしていた。「このコロナ禍の中、やるべきじゃない」というコメントを添えて、だ。私は決しておかしいことではないと思っている。しかし、「著名人が発信した」ということについて異常な程に負のリアクションを取る人が多く居たのもまた事実だ。

これは推測の域を出ないが、「自分の好きなアーティストが政治介入している」なんてことを考えたくないだけなのか、それとも「有名人の影響力考えて発言しろ」と考えているのか…とにかくその辺りの思想を基に彼らに負の感情を叩きつける人が多かったのではないだろうか。

確かに影響力云々を考慮すれば、彼らが発信することで「じゃぁこの人が支持しているから…」と揺れるファンも少なくはないのかもしれない。だからと言ってその発言をダメだ、と言ってしまうのは如何なものだろうか。

大元を辿れば、その著名人も同じ国の一国民である。そう、大枠は自分と何も変わらないのだ。国民として声を上げることを封じたら、それこそ政治介入とは言えないか?「そう言う声を上げることを良しとしない」という考えこそ…反対意見を封じ込めようとすることこそ、狭い国会の中で起こっている茶番劇と同じレベルのことだと思うのだが、どうだろう。

立場が変われば視点も変わる。それはいつでも誰でも持ちうるものだ。動かなければ何も変わらないけど、動けばきっと世界だって変わっていく。そして、「動く」か「動かない」かという事は、立場に関係しないのだ。誰だって、変える力を持ってる。それを「立場」に物言わせて押し込めるのは、些かひとりの人間として失礼すぎやしないだろうか。

発信力のある人達は、きっとこの先も多くの「バッシング」と共に生きていくことになるのかもしれない。私なんかでは想像もつかない様な、過酷な世界なのだろう。だからこそ、私は彼らを応援したい。声を上げてくれてありがとう。国民として戦おうとしてくれてありがとう。勇気をもって発信してくれた貴方を、私は応援したい。

ハリー・ポッターと秘密の部屋、アルバス・ダンブルドアの言葉。

It is not our ability that show what we truly are, Harry, it is our choices.
(我々が何者であるかを示すのは能力ではない、何を選択するかだ。)

貴方は、「そんな発言しないで」という言葉を選択することで、何者になろうとしているのですか?

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