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人間不信になった話

もう5年くらい前の事である。その頃から、私の中には揺るがぬ意志があった。それは聞く人が聞けば「当然だろ」と言われることでもあり、別の人が聞けば「そこまで思いつめなくても…」と思わせてしまう様な意志である。そしてその意志は、相手を問う事無く発揮される羽目になってしまった。

その意志とは「人を愛するな。必ず裏切られる」である。

「愛する」という言葉の中には、勿論恋愛感情的な意味合いから、信頼関係や友情など多岐に渡る。そう、私は5年前から他人を心から信じるという事が出来なくなった。さっきまであーだこーだと意見を合わせていた人間が途端に掌を返す様を見るたびに「ほらな、私は間違ってない」とその人を心の中で軽蔑するのだ。

詳細はその人の人権に関わるので控えさせていただく。簡潔に話すと、「信頼関係がある」と思っていた人間に公然かつ”匿名”でバッシングされるという事があったのだ。発端は勿論私だったのだが、見なければ良いものを勝手に見て、その上で私に直接言うでもなく大衆を味方に付けて非難の嵐を呼び起こしたのはその人自身である。今なら言える…フォローしてねぇ私のツイート見て勝手に文句言うとかネットストーカーかよ。

人の気も知らないで身勝手な発言を重ね、更に「自分は正しいことを言っている」と言う始末。結果として私は信頼関係があると思っていたその人に近付くことすら許されない所まで追いやられる羽目になったのである。それは当時の私の心を酷く傷つけるものであり、立派な「トラウマ」と化したのである。

それを境に、私は人を信じるのをやめた。親でさえ、「この人は私を言いなりにしたいだけだ」と疑いの目を持って接する様になってしまった。きっと私がここまで変わってしまったという事には、誰も気付いてはいなかっただろう。それだけ、私が多くの人を前にして「何も無かったフリ」をし続けてきたということだ。長く付き合いのある友人を相手にしても、心のどこかで「この人もきっといつか私を裏切る」と思ってしまっている。そしてそんなことを心の中で思いつつ、私はこれからも「何も無かったフリ」をして生きていく。

このことについては友人各位には認識しておいてほしい事が2つある。
まずひとつ。貴方たちは何も悪くない。私が勝手にそうなっただけだ。
ふたつ。私のこれはもう治らない。ありとあらゆる人間に対し、そう思って生きている。私には、誰も信じられない。そう言う生き方を選んだのも、私だ。だから、どうか私がそう思っているという事実を、「気にしないでほしい」。そして、「信頼を得ようとしないでほしい」。

私にも、他人を信頼したい気持ちはある。しかし今では「仕事の上では」「最低限の」というレベルでしか他人を信じることが出来ない。それは「モラルとして」というレベルや、「マナーとして」という程度のものに過ぎず、一から十まで全てを信頼できる、という事が私にはもうできないのである。

きっとそれを知らず私に接してくれていた人が多く居ただろう。この場を借りて謝罪申し上げる。遠まわしに、私は貴方がたがくれる「信頼」を裏切っていたことになるからだ。信じてくれて、ありがとう。5年前までは貴方の事を愛していました。信じられなくて、ごめんなさい。貴方の事を、今でも愛していたい気持ちはあります。それが出来なくて、ごめんなさい。

人の態度が変わる様を見るたびに私は「必ず裏切られる」という言葉を思い出す。だからね、私はずっと言うの。「どうせ裏切られるから、人なんて好きにならない方が良いよ」って。私は、人間不信だ。


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