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【観劇レポ】罪の森ABYSS 11/07 18時回(Twilight)

たった一度、足を踏み入れた森。「罪」の重さに狂っていく、美しく悲しい物語。奇病に苦しむ彼女たちの見せる笑顔は、罪を忘れたひと時の幸福の笑みなのか―――。

今年の7月にコンセプトイベントとして開催されたという「罪の森」というボイスドラマが朗読劇になった、というのが「罪の森ABYSS」。諸々の都合で千穐楽しか参加できなかったのが本当に悔やまれる…!!と思うくらい、美しい世界だった。…なーんで配信チケット買わなかったかな~?

【あらすじ】
この世界で罪を犯した者は「奇病」に侵される。
奇病に罹った者は、異形の姿になり永遠の苦しみを与えられる。
治療法はただ一つ。
犯した罪に対して「償い」をする事。 罪を償い、「奇病」が完治すれば
人間に戻り安らかな死を迎えられるという。

人々は彼らを「罪人」と呼ぶ。

罪人達が罪を償うための最期の楽園「罪の森」
彼女たちの罪が今、明かされる—

「罪」の物語というと「七つの大罪」を思い浮かべるのだが、この罪の森ではもうひとつ「無垢」というものを罪として数えているのだそうだ。無垢の罪…無知の罪なら何となく意味はわかるんだけど、無垢が罪か…わからん…。
………な~んで配信チケット買わなかったかな~?(2回目)

それはさておき私が見てきたのは公演種類「Night」「Dawn」「Twilight」の3種類のうち、「Twilight」のみ。全員出演する回を見たい、と思ったらこの回を選択することになった、ということ。それぞれの回でメインキャラクターが異なり、出てくるキャラクターも異なる、という仕様の舞台だった。配信チケット云々言ってるけど、この回を見て、全員のお姿を目に焼き付けられたのは結果として良かった。

再演するかどうかはわからないので、ストーリーの本筋にはあまり触れないようにしつつもご紹介していこうと思う。


この罪の森では、あらすじの通り「罪を犯し奇病を患った」者たちを「罪人」と呼んでいる。その中でも特に奇病の進んだ者たちを「大罪人」と呼び、それぞれの罪を犯した罪人達を取りまとめる役割をしている。

「Twilight」のメインキャラクターは罪の森の主である強欲の大罪人「ストレリチア・ルピナス」のほかに、傲慢の罪人「ジニア」、憤怒の罪人「タンジー」、怠惰の罪人「ダチュラ」の3人。罪人たちはそれぞれ鴉・蛇・猫をキャラクターイメージにしているそうだ。

彼女たちは自分が犯した罪がいかなるものであったか、自分が奇病を患った罪が何だったのかを語ってくれた。それらの物語は、切なく悲しく、きっと誰もが一度は心に感じたことがあるかもしれない物語だった。彼女たちは、私たちの苦しみの代弁者になってくれたのではないか、とさえ思ったくらいだ。

代償さえあれば失うことはないと思い込んだ傲慢。
己の優しさ故に失ってしまったことへの憤怒。
過剰な自己評価に伴う怠惰。

裏切られた現実。

私達の世界にも、間違いなく存在している。

「こんなにプレゼントしてるのに何も返してくれない!」って思っている人はまさに傲慢の罪人なのだろう。「自分の大事なものを奪ったんだからお前だって奪われて当然だ」と考える人は憤怒の罪人になるだろうか。「私は何もしなくても誰にも怒られないし」と思ってる人は怠惰の罪人といえるだろう。ほらね、私たちにも当てはまってしまう。

自分がどこに当てはまるのか。自分を見つめ直せる…そんなお話だったのかもしれない。ただ、一言に「罪」と言っても、この罪の森で語られた「罪」は「感情」に等しい。感情は自然現象と同じだ。降って湧いてくるものであり、作るものじゃない。誰もが持っている、内なる感情。誰もが持っているからこそ、誰も咎められない罪。この『世界』に、無感情なんてものはない。無感情であれば、罪など犯すこともなかったのだから。

「想いの強さ」が強ければ強いほど、苦しみ続けるのは当たり前の事よね。

***

さて、ここからはネタバレにならない程度に、心に刺さったシーンを書かせて頂きたい。どうしても語りたいシーンを目の当たりにしてしまった…が、語彙力の足りなさ故にその情景をお伝えしきれないだろう無念は予め申し上げておく次第。


作中で唯一、自分の中で時が止まった瞬間があった。

怠惰の罪人「ダチュラ」が初めて罪の森に入り、怠惰の大罪人「ベラドンナ・リリー」と邂逅したシーンだった。

ベラドンナが差し出した手を一度は取ろうとして、手をひっこめたダチュラ。しかし、迷うことなくダチュラの手を優しく掬い上げたベラドンナ。その仕草があまりに美しく、時間にして1秒に満たなかっただろうその一瞬が、長い時を掛け凍てついた心を優しく溶かす様な温もりを感じ、その温もりにダチュラだけでなく見ている私まで包まれた様な気持ちになった。たった一瞬のそのシーンが、温かさが、世界の時を止めてしまったかのように思えた。

「ベラドンナ・リリー」は人間であった頃は「国の後継者(王女)」と言う立場だっただけに、その優美さは当然なのだろう。全てが納得できる美しさを、たった一瞬で魅せられた。彼女の物語を知らない私に、語る言葉は無い。それでも、あの美しさが一国の王女たる所以、と言われれば、誰もが納得するはずだ。

あの時私が見たのは、一国の王女が小さな子猫を抱き上げたシーンだったのかもしれない。私には、そんな風に見えた。

***


…と、ベラドンナの事を書かせて頂いた。勿論、他のキャラクター達も、それぞれ強さ、美しさ、聡明さを魅せた妖しくも美しい者たちばかりだった。

(最後にヲタクテンションのターン)
ちなみに私は少年ボイス大好きの民なのでアリウム・タンジーコンビがスーパーウルトラクリティカルヒットしました…。そもそもアリウム役の女優さんのファンとしてお邪魔してきたくらいなんですね…。しかしアリウムだけでなく、タンジーの魅せる「お調子者が抱える闇とその先に見せるお茶目な笑顔」が刺さったァ…なんだ最高か…?アリウムのおマヌケ感とタンジーの「アリウム大好き」感にカジュアル胃酸逆流キメた(トキメキが胃にくるタイプ)。お陰様で昨夜はあんまり眠れなかった(テンション上がりすぎて)。アリウム様とタンジーさんに置かれましては罪人というお立場上この台詞がおかしいのは重々承知ですけど永遠にふたりで仲良くしててほしい。なんかもう…なんかもう幸あれ(語彙力消滅)。


………な~んで配信チケット買わなかったかな~?(3回目)
買わなかったのは私の怠惰です…。
いっそ円盤化すればいいのにとか思ってるのは私の傲慢と強欲です…。
ねー、人の感情は大体どっかしらの罪に含まれるのよ~…。

強欲の罪に身を任せて上演台本とパンフ買ってしまおうかなって思ってるんですけど、どう思います~?ストレリチア様~。

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