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制作費を懐にいれてトンズラしてしまった友人と福祉・ボランテイアの話。


このところ時間の合間をみてブログを整理している。

ブログ“万歩計日和”は2002年2月2日から書き始めて今日で6,666日目。

過去の日記の最長記録は高校一年から大学卒業まで続けた7年間なので“万歩計日和”は最長不倒距離だ。

昔の日記を読み返すと思い出深いこと全く忘れていること記憶と大きく食い違っていることなどが連なり「記憶」の面白さ曖昧さ嘘つき加減が楽しめる。

【きっかけ屋☆映画・音楽・本ときどき猫も 第86回】

こんなことがあった。

原宿の友人の事務所に間借りしていた頃だから25年ほど前の話になる。

ある日友人が面白いビデオを手に入れたので今度一緒に見ませんかと声をかけて帰宅した。

その晩仕事が早めに終わったので彼の机の上に置かれたVHSのビデオをデッキにいれてぼけ〜と見始めた。

見始めてすぐにこれは凄い!こんな笑える映画は久しぶりだ!狂喜して画面を食い入るように最後まで見続けて大笑いと感動でぼくは放心状態になってしまった。

そのビデオは北海道浦河町にある30人程の精神障害者たちが共同生活する“べてるの家”を舞台にした「ベリー・オーディナリー・ピープル 予告編1」と名付けられたドキュメンタリーだった。

べてるで行われている治さない治療と彼らの日常がとてもユニークなので映画に記録して多くの人にアピールしたいという人がプロデューサーとなって映画の制作資金を集めるための予告編をビデオで撮影する為に東京からプロのスタッフ3人を集め二泊三日で撮影した。

撮影が終わって後日東京のスタッフから送られてきた予告編はなんと56分の映像で、自らカメラをまわした監督は「残念ながらこれ以上カット出来ませんでした」とプロデューサーに伝えた。

かくて56分の「ベリー・オーディナリー・ピープル 予告編1」は完成した。

この映画に登場する個性的なべてるの人々の言動には椅子から転げ落ちるほど大笑いしてしまう。

おいおい精神障害者の人を笑うなんて不謹慎だ、失礼だぞという意見もあるが、オモシロイものは素直に笑えばいい。

彼らに妙に気を使うのは差別なんじゃないだろうか。

健常者だろうが精神障害者だろうがオモシロイ奴はオモシロイのだ。

ぼくは健常者と精神障害者の区別はするけれど差別はしない。

画面に登場するユニークなべてるの住人たちの言動はしごく真っ当だが真っ当の直球さ加減が半端じゃないから笑える。

大笑いしながら見ているうちに「いったい精神を病んでいるのはどっちなのよ」と胸元に刃をつきつけられた思いがする。

何が正常か?

何が異常なのか?

この問いかけに簡単に答えを出せる人はいるのだろうか?

べてるに集う精神障害者たちこそがベリー・オーディナリー・ピープル(とても普通な人々)なんじゃないの?と思えてくる。

「ベリー・オーディナリー・ピープル 予告編1」の全国での上映会での評判が評判を呼び、資金も集まってきたので、カットされた部分を生かしてもう一本編集した。

今度は90分の作品となり「ベリー・オーディナリー・ピープル 予告編2」と題され、その後「ベリー・オーディナリー・ピープル」は8本の予告編が制作されている。(2002年時点で)

あまりにも鮮烈なドキュメンタリーに仰天したぼくは、残る予告編すべてを取り寄せて全部見終わるとその映画を制作したプロデューサー清水義晴さんに会いに、新潟に飛んだ。97年7月12日のことだ。

当時、ぼくは設立されたばかりのCSデジタル放送局の開局番組の準備に追われていた。

ボランティアや医療問題を重点的に扱うヒューマンネットワークというチャンネルに大学時代の仲間が編成局長として就任し、彼から番組企画の依頼を受けた友人がぜひ参加してくれとぼくにも声をかけてくれたからだ。

毎週1度ぼくは友人の事務所でのブレイン・ストーミングに参加し、その局の方針に沿った企画を仲間と試行錯誤した。

いかんせんCSテレビの製作費は通常のテレビ局の1/10から1/20。知名度のあるタレントは使えず、制作スタイルも全く新たに考え直し、企画じたいに知恵を絞らないと実現は不可能だった。

友人が集めた制作チームのスタッフはみんな若かったので、ぼくがまとめ役とならざるを得なかった。

そんな時期だったので「ベリー・オーディナリー・ピープル」シリーズの制作者と交渉してテレビ放映権をすぐに獲得したかったのだ。

新潟で制作者の清水さんと会ってテレビ放映の話をし、清水さんを通して番組企画の話は北海道のべてるの家の定例ミーティングの議題として取り上げられ、何週間か後に、無事OKの返事を貰えた。

「ベリー・オーディナリー・ピープル」の連続放映は未来のボランティアや医療の姿を模索するヒューマンネットワーク・チャンネルにとってもっとも相応しい開局記念番組になるとぼくは確信していた。

何よりもこのインパクトの強い映画が放送されることは、ヒューマンネットワーク・チャンネルの絶大な宣伝になる。

「ベリー・オーディナリー・ピープル」に記録されている、べてるの家の"治さない治療"の実態こそは21世紀にぼくたちが目ざすべき医療の予告編だった。

残念ながら結論から言うとこの番組は成立しなかった。

ヒューマンネットワーク・チャンネルじたいが開局しなかったからだ。

この話を持ち込んだ大学時代の仲間は、ぼくらに約束した企画準備費を一銭も支払うことなく開局準備の真っただ中に消息不明となり、局が当てにしていたメイン・スポンサーも決まらず、開局が何ヶ月も遅れた揚げ句にこの会社は潰れた。

企画に動き回った10ヶ月間の下準備は、全く仕事として実らず、ぼくらこそが、そのチャンネルのためにボランティア活動をしてしまった、という笑い話のような結果となったわけだ。

それから3年後のある日、ぼくはテレビのニュースで、消息不明となったクラスメートが、詐欺罪で捕まったことを知った。

べてるの家

最後までお読みいただき有難うございました。

次回もお寄り頂ければ嬉しいです。

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2002年に書き始めたブログ「万歩計日和」です。



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