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土湯こけし工人・陳野原幸紀さんインタビュー【記事を書きました】

この年末、福島市のふるさと納税返礼品に新たに「土湯こけし」の作品が追加されます。そこで、制作を手がける土湯こけしの第一人者・陳野原 幸紀(じんのはら ゆきのり)さんにインタビューし、記事が公開されました。

江戸時代、木地師(きじし)が生活のために、湯治場の土産物や子供の玩具として作り始めたこけし。
こけし文化は東北地方にしかないということをご存知ですか?
東北6県の温泉地や山間部に、大きく分けて11系統のこけしが存在し、「土湯こけし」は、遠刈田、鳴子と並ぶ「三大こけし」の一つに数えられています。
陳野原さんが作る土湯こけしは、粂松(くめまつ)型と呼ばれる型を継承していて、こけしには珍しい二重まぶたと、富士山のような山を描いた口元をしています。

ある意外な出来事がきっかけで、こけしを作るようになった陳野原さん。
それから50年、ようやく「あまみ」のある表情の顔が描けるようになったのだと。あまみとは、笑顔のようでもあり、悲しそうな顔でもあり、見る人の心持ちを反映するような、そんな表情のことを指すそうです。

「こけし作りとは別に飲食店をやっているから、ほかの職人さんがやりたくてもできないような新しいチャレンジをした作品を作ることができる。それはとても贅沢なことだと思う」と話してくれました。
「伝統を伝承するには、時代に合わせた変化が必要だ」とも。

そんな陳野原さんの土湯こけし、ぜひご覧ください。

記事には書きませんでしたが、インタビュー時に「こけし」という名前の由来について、なぜこう呼ばれるようになったのかという話が出ました。
こけし=子消し、という印象を持っている方も多いかもしれませんが、これは後付けの創作だそうです。
東北の各地で「でく」「きぼっこ」「きなきな」などいろいろな名前で呼ばれていたこけしは、昭和15年に呼称が「こけし」に統一されました。もし子供を…という意味なら、このとき「消す」という言葉は使われていない(別の言い方をしていたはず)と、陳野原さんは言います。そもそも制作者や蒐集家が呼び方を決めたのだから、自分たちの好きなものをそんな理由で名づけるわけがないと。

木のあたたかみと素朴な愛らしさが魅力の「こけし」。土湯のみならず福島の宝として大切に受け継ぎ、広がっていってほしいなと思います。

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