やさしいだけがコーチングじゃない。
コーチングが大流行中の昨今です。
私のスケジュールにも、2日に1回ペースでセッションが入っています。
個人的には、たくさんの必要な人にコーチングが届いてほしいと願っているし、全人類コーチングという概念を学べばもっと世界はやさしくなると思っているからコーチが増えることも、コーチングを体験する人が増えることも純粋に嬉しい。
「〇〇なコーチはコーチングじゃない」というコメントやTwitterを見かけるとちょっと寂しくなる。(そんなコーチング”も”あっていいよねってスタンス。)
コーチングってひとつの手法でしかないから、目の前の相手にインパクトがあればコーチングでもティーチングでもカウンセリングでも何でもいいんじゃない、というのが個人的な立場です。
〇〇なコーチングをしたい、というのは実はコーチ側のエゴだったりもするし、「正しいコーチングの知識」と振りかざす時点でコーチの在り方が見えてしまう残念さも同時に感じたり。
人は誰しもが間違っているし、同時に正しくもある。
自分の基準なのか、相手の基準なのかは常にメタで認知しながら関わりを持っていたいですね。コーチの自己管理として。
さて、最近こんな気付きがあったので記録しておこうと思います。
それは、「コーチングにおけるクライアントの満足感をある程度コーチの裁量によって、左右できてしまう」ということ。
つまり、目の前のクライアントさんに嬉々としたインパクトって一定のスキルがあれば実現できちゃうってこと。
だから例えばクライアントさんに聴く「コーチの満足度」って指標にちょっと違和感あるわけです。
セッション後のインパクトは、短期的な「顧客満足」につながらないこともある。
聴きたくない耳の痛いことを、あえてクライアントさんに認知フィードバックとして告げることで大きなインパクトがあることも往々にしてあるんです。
「同じところで二の足を踏んでいるね、いつまでも迷っていたら人生終わっちゃうよ。」
「あなたに大事なのは、社会的評価ですか、自分の想いですか?」
「あなたのいうビジョン、なんか違いますよね?他にありませんか?」
例えばこんな風に、できれば聴きたくないような、見ないフリしていた部分にあえてフィードバックや問いを投げることもあります。
コーチが受け取る違和感を、クライアントさんに投げることにはコーチ側の勇気もいることです。
これを伝えることでクライアントさんに葛藤やモヤモヤが生まれる可能性が大きいから。
でも、コーチは信じているんです。それをクライアントさん自身の力で新たな可能性に変えていけるんだって。
そしてこれは、ある程度コーチのマインドセットがなければ出来ない。コーチ自身が自己評価を気にしている限り、この踏み込み方はできない。
つまり、クライアントさんが新たな視点や気付きを得ることは容易にできてしまうんですよね。それによって満足度を上げることも"意図的"に可能。
これに気が付いたときから、やさしさだけのコーチングはやめました。
もちろん、コーチとクライアントの協働関係を築いてからでしかこの踏み込みはしないですが、それでも大きなインパクトがある。
これって、家族や友人が出来ないことだから。
家族や友人こそ、実は相手との距離感を測って関係性が崩れないような関わりをしている。本人との関係性のために、あえて言わないことも多い。だからその関係は心地がよいものであることが多い。(家族関係は様々だと思いますが)
私は、コーチのお役目として、そのあえて言わないことをクライアントさんに告げることが必要だと思っています。
最悪壊れてもいい距離感だからこそ、言えることがある。それがコーチという立場の価値でもある。
涙を流す人も多いです。痛いとこ突かれたって。
でもそれは、傷つけたくてそうするわけじゃない。むしろ、愛です。クライアントさんに告げる、コーチからの愛。
可能性を、変化できることを、クライアントさん自身が望む人生を歩めるということを、コーチ自身が信じて、願ってやまないから。
やさしいだけのコーチングはしない。安心感だけのコーチングもやめた。
人には、無限の可能性があるから。
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