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エッセイ│大人になれない私

 20歳になったらもう大人?お酒を飲めるようになったら大人?結婚していたら大人?仕事をしていたら大人? 
 漠然と、子供から大人になる瞬間があるように思っていた。それはマラソンのゴールテープみたいに、ここを超えたら大人ですよ、あなたはまだ子供ですよと教えてくれるもの。そういうものがあって、子供と大人は明確に隔たれているのだと、そんな気がしていました。その線の向こうの世界は涼やかな風が吹いていて、ずっと遠くまで駆けていけるのだと信じていました。私は早く大人になりたかった。
 
 大学を卒業してから、ずっと焦りのような感覚が肌に張り付いています。仕事でミスをして言い訳をしそうになった時、理不尽なことで叱責を受けたとき、言いたいことちゃんと伝わらなくて頭ごなしに否定されたとき、なんで、どうしてってもやもやした気持ちでいっぱいになる。でも飲み込まなくちゃいけないのだ、ここはもう学校じゃないんだから、自分のことは自分でやらなくちゃいけないのに、どうしてあの時素直に認められなかったのだろう。もう十分に大人のはずなのに、ひどく幼い自分に気付く。情けなくて、居心地が悪くて、恥ずかしくて、消えてしまいたいと思う。もう大人なんだから、ちゃんとした大人にならなくちゃ、皆ちゃんとできているのにどうして自分だけ。考えるたび焦りは募る。自分一人だけどうしようもなく足りない。私は早く大人になりたかった。
 
 その感情はどんどん大きくなって、いつしか抱えきれないほど膨らんでいた。歳を重ねればどこかにあると思っていた大人と子供を隔てるゴールテープ。私だけまだ見つけられずにいる。二十歳になっても、お酒を飲めるようになっても、恋人ができても、仕事をしても見つからない。
 
 自分で責任をとれるようになったら大人だと思う。騒がしい教室で誰かが言った。私たちはそれきり何も言えなくなった。それが正解だと思ったから。
 
 でも責任の取り方なんていつになっても分からない。仕事でお客さんをかんかんに怒らせてしまった時、上司が奔走する中私は立ち尽くすしかできなかった。全部が終わった後でかけられた優しい言葉が魚の骨が刺さったみたいに取れない。仕方ないよって、やれることはやったじゃんって。でもそれじゃあいつまでたっても私は大人になれない。ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。絞り出した声は虚しいだけ。
 
 任されたことを最後までやり切ること。周りに迷惑をかけないこと。全部正しいことだと思う。何も言えなくなるほどに正しいことだと思う。それが大人だと思う。そうあれない自分が嫌いでたまらなかった。これから先もずっと大人になれない気がした。何もかもが嫌になって、もう大人になれなくてもいいすべてを投げだした。仕事もやめて何か月もふさぎ込んだ。自分はダメな奴だと責め続けた。惨めな姿を見られてしまうと思うと友達と会うのも怖かった。でも焦りはずっと消えてくれない。夜眠るのがこわくて、窓辺から差し込む朝日の中でようやく眠りについた。ずっとこんなことが続くのか、どうしたら楽に消えられるだろう。そんなことばかりを考えていた。
 
 それでも時間が解決するものは確かにあって、部屋の掃除をして窓を開けてみようと思えるようになった。人気の少ない時間には外に出られるようになった。友達と会えるようになった。どうしようもない自分から離れていくでもなく、手を差し伸べるでもなく、ただ少し近くにいてくる人がいた。足りないままで、生きていてもいいのではないかと思えた。皆より遅れてしまっても、それが私なのだと、私の手を握ってやる時間。大人も責任も未来もなくて、私はここにいるのだと何度も確かめた。自分の手の形をその時初めて見たように思う。
 
 あの時のことは解決していないことばかりで、消えたいと思うことだってある。大人にだってなれていない。毎日苦しい。でもふいに季節の変わる匂いや電車の音、窓辺から差し込んでくる陽光がふと私の中に流れ込んでくることがある。嬉しいような、寂しいような、不安なような。早く大人になりたいとか、正しくありたいとか、もう言わないから、私の中にあるその感情を、その感情として、そこにいさせてほしいと願いながら。私は、今、生きています。
 


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