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海、否、沼



最近の出会い。


面白い本を読みました。
⁡⁡

「 量 」 髙塚謙太郎

第70回H氏賞受賞

「詩」と「歌」が一体となって届けられる時、その「ことば」には新鮮な美しさが宿る。

⁡とっても難しい本。

今までそれなりに文字を読んできて
時には難しい漢字や
知らない言葉が出てきて
ソレを調べ
学びを得ては自分の辞書に落としていくことに
喜びや楽しみを感じてきたけど


当書はまーーーーるで別物。


読んでも読んでもさっぱり分からない。


漢字が分からないとかではなくて
意味が分からない。


意味を分かろうとする気力さえ削ぎ落とされる感覚。


自分の語彙力の無さに落胆してしまう、、、


これが文学かあという感じ。

そんな書き方ありなの?!


書かれ方が特殊で、
バラバラに書かれたり
円を描いて書かれたり
空白を残して書かれたり。

これは何を見ているんだ、、一体⁡、、

ひとつの詩の意味を考えず
次の詩へと寄り道をするけど

また前の詩の意味を探して
気持ちを引っ張られながら
いつの間にか全て見失い
散文していき、散漫になっていく集中力…。


詩を解説している注釈が
いつの間にか新たな詩へと変わってる?!?!

そんなことがあってたまるかよ。ほんと。


理解しようとすればする程
言葉は群を成して抽象の境地へと向かっていく。


複雑で、面倒で、美しい、素晴らしい詩群。

自分がいかに無意識的に本を読んできたか分かる。

まあ、それはそれで良いんだけどね。

それと⁡。


三浦しをんさんの
“ 舟を編む ”で書かれていた


「海を渡るすべを持たない僕たちは、そこでただ、佇む。誰かに届けたい思いを、言葉を、胸の奥底にしまったまま。辞書とは、その海を渡る、一艘の舟だ」

が、とても心に残っていて
とても好きなんですけど、

⁡辞書が船で
言葉が海というならば
この本はまるで沼ですね、、、。

最後に。


いやぁ、とても深い経験だった。
結局今の読解力じゃ到底理解出来てないんですけどね。

ただ「言葉が抽象の境地に…。」
みたいな表現しましたけど
まさにそれで、
アートを観ても何がいいか分からないけど
なんか良くない?って時ありますよね。

もちろんそのアート、その本で
作品ができるまでのプロセスに
美しさを感じるってのもありますが

分からないけど目が止まってしまう、
みたいな。

分かんねえけど
こだわりと美しさがこもった素晴らしい本だって事は分かる気がする。

そんな本です。

新しい出会いを求めている方は是非
お手元に置いてみてはいかがでしょう!!

では。

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