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【小説】『推し、燃ゆ』を読みました【感想の類】

推し、燃ゆ/宇佐見りん by 河出書房新社

※ネタバレないです。


カイロを握り締めながら、始発で到着して何時間も同じ場所に立ち尽くした横浜アリーナ。共有できる友達がいないから、混み混みのカフェにも入らず、ただ一人風が吹きすさぶ屋外でスマホを眺めて開場を待つ時間。いつしか他人の解釈が敵になり、待ち時間はイヤホンで音楽を流して過ごすようになった。

どれも私がオタクとして生きていた頃の記憶である(今もまあそうだけど)。

生きていると本当に色んなことがあって、今はそこまでやりきる体力を失ってしまったけれど、心身削りながら推しに貢ぐ幸せとか、推しのために生きている感覚を幸福と定義していた時間はそんなに嫌いじゃなかったし、今でも少し、それを出来る人間を羨ましいと思う。

自分はいつからか"対推し"でない時間も大事にするようになった。それについては本当につまらない出来事でここに書くに値しないし、生きてると本当に色々あるよね、ってだけの話だから、オタク人生として語るべきメソッドに含む必要がない。そして、恐らく無意識に、生活を放棄してオタクしている人のことをあまりいい目で見なくなっていたような気もする。

でも、これを読むと、意外とそんな偏見がなかったことを思い知らされてしまった。

私が今オタクとしていられる部分は解釈とか妄想の域だけであって、金銭的・物理的支援にはあまり協力出来ていない。それは現実の環境と向き合ってしまったからだ。それでも、女子高生なのにここまでのめり込んで"推し活"をする主人公には、羨望の眼差しを向けてしまう。それくらい熱中した時に感じる幸福度を、私は知っているからだ。今まで感じていたのは偏見ではなく、羨望だったかもしれない、というのが真実だったのだろう。

こういうオタクのジレンマは、一生感じずに生きていけるのであればその方が健全だ。でも、一度知ってしまうと、知らなかった頃には戻れない。『推し、燃ゆ』を読む人の中には、オタクのメンタルを全く持ち合わせない人もいるだろう。そういう人はいったいどこに共感するのだろう。いっそ宇宙人のエッセイを読んでいるような気分にすらなるのではないか。それくらい、この作品の世界観は推し活をする主人公の精神の中にしかない。

読み始めれば一度も停滞することなく流れ込んでくる心理描写はあまりに生々しく、オタクという生き物を悉く殺しに来ている。逆に全くダメージを受けない人間もいるのだろうが、そのエネルギーこそがこの小説の一番の核であるからして、読むのであればそこに呑まれていくしかない。

例えば、これが現代文学として芥川賞をとったことが、文学界に大きな影響を与える…のかどうかは、私は割とどうでもいい。文学として評価されたからといって、もっと幅広い世代に共感される世界を描く必要は全くないし、現役女子大生から繰り出される凄まじい心理描写がもつエネルギーをそのままに、もっと書きたいものをひたすら書きまくって欲しい。

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