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タイカ・ワイティティ『ジョジョ・ラビット』(2019)を観て

割引あり

タイカ・ワイティティ(Taika Waititi)『ジョジョ・ラビット(Jojo Rabbit)』(2019)をPrimeで観た。この作品に限らず、基本的に吹き替え版のほうが文字数制限に縛られず豊かな訳になるため、わたしは2回目でもない限り海外の映画は吹き替え版で観るようにしている(固有名詞を一般名詞に置き換えられてしまうといったことも基本的に吹き替え版ではほぼないため、より文脈を深く理解することができるのも吹き替え版のいいところだ)。いや、そういう話じゃないよ。わたしは吹き替え版vs字幕版の議論がしたくてこの記事を書きはじめたわけではない。話の筋を無理やり転換する。

さて、わたしたちはふだん何気なくさまざまなものに、それはもう息を吸うくらいに無意識のうちにレッテル(ラベル)を貼っている。そのレッテルはポジティブにはたらく場合もあれば、ネガティブにはたらく場合もある。そのレッテルがレッテルとしてこの世界に表面化するときは、まあたいていネガティブにはたらいているときだけれど。
この映画は、子どもを主人公にすることでレッテルがどのようにキャンセルされうるかということを丹念に描いている。主要キャラクターのほとんどが二重生活を送っている中で、子どもはその境界線を大人よりもたやすく行き来する。それがレッテルのキャンセルにつながっていく。
また、第二次世界対戦、ナチス・ドイツ、ホロコーストというテーマを扱っていながら、それらのむごさに目をつむることなく、しかし同時にコメディとしても成立しているのは、やっぱり主人公が10歳の子どもという点が大きく作用している。そうでなければあの絶妙なバランスはたもてなかったと思う。

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