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【安易なマネは逆効果!】侍JAPAN栗山監督の高度なコミュニケーション術

侍JAPANが2023WBCで優勝してから、栗山英樹監督の評価が一層高まり、そのマネジメント術や人柄に注目が集まっている。テレビへの出演や特集番組の放送はもとより、2019年に発売された著書『栗山ノート』は追加の大幅重版の結果、累計10万部を記録した。世間では「上司にしたい有名人」と言われ、一躍時の人になった。巷では「栗山監督に学ぶマネジメント術」のようなネット記事も散見されるが、正直、安易なマネは組織のマネジメントを高めるどころか、むしろ逆効果なのではないかとさえ思える。その理由は、プロ野球の監督と組織のマネージャーに求められる役割が大きく異なるからだ。

2023WBCにおける侍JAPANは、選手、コーチ、試合環境、遠征時のサポートも含め、かなりの好条件を整えることができた。これも多くの人の努力の上に成り立つことであり、この諸条件が悪ければどんな名監督でも優勝などできない。WBC優勝の偉業は、監督だけでなく、一流の選手、一流のコーチなど全ての要素に最高レベルのパフォーマンスが発揮されたからこそ成し遂げられたことであり、一流のプロジェクトメンバー、一流の勤務環境が整備された中で、最高の結果を求められる状況にある組織・チームでない場合(世の中のほとんどはそうだろう)には、栗山監督の言動には注釈が必要だ。ここでは栗山監督が見せたマネジメント術を紐解きながら、組織・チームに生かせる学びのヒントを探りたい。

1.信じる

今大会不振だった村上宗隆選手を使い続けて、準決勝の決勝打や決勝のホームランにつながった場面を振り返り、「(ムネを)信じる」「信じていた」という言葉で振り返った栗山監督。これを表面的に受け止めると、「やっぱり最後は信じる心が大事だよね」となってしまうが、これは実に危険な話。栗山監督が心の師と仰ぐかつての名監督、三原脩氏が描いた「三原ノート」には、「周りからどんな奇策に思えることでも、私にとっては全て最も確率の高い合理的な方法を選択しているにすぎない」と書かれている。栗山監督自身も、村上選手を起用し続けたのは、諸条件を全てシミュレーションし尽くした結果、最も得点の確率が高い選択だと判断したからであると、ドキュメンタリー番組で語っている。また、その裏側には、「監督の仕事は選手に尽くすことと、責任をとること」『「最高のチーム」の作り方』)という考え方がある。やみくもな実行、リサーチやシミュレーションなき実行による神頼みが「信じる」ではなく、計算し尽くした果ての直観的選択+責任を取る胆力、これを総合した言葉が「信じる」であるという注釈が必要だと思う。

2.言い方が重要なのではない

近年は日常会話において「言い方!」と言葉を発することは多い。『よけいなひと言を好かれるセリフに変える言いかえ図鑑』(大野萌子氏)がベストセラーになるなど、直接的な正論よりも、人を傷つけずに行動や意識を変える言葉遣いが推奨されている。選手と分け隔てなくコミュニケーションを取る栗山監督が、その中でも「言い方が重要なのではない」という。これを聞いて「言い方に過度に気を使いすぎるのは良くない」「パワハラを気にして本当に伝えるべきことが伝えられないのはおかしい」という解釈をする人もいるだろうが、栗山監督の考え方は少し異なっている。ドキュメンタリー番組で栗山監督は、「表面的な言い方をどんなに工夫しても、本当に考えていることは選手に伝わってしまうもの。嘘は見抜かれる。だから本気で選手のことを思うことが大事だ」と話している。また、著書でも「選手を本気にさせるのは、『言葉』だけではない。どうやってメッセージを送れば、本当に危機感を感じてもらうことができるか。」と厳しい決断をする際の言葉を記している。自分の考えを伝える様々な手段のうちの一つが「言葉」なのであり、単純な言い方だけで一流の選手を大事な場面で思い通りに動かすことはできない、チームを本気で考え選手を心から考えることが重要、という解釈が妥当だろう。

3.監督として、選手と適度な距離を保つ

コミュニケーション上手として知られる栗山監督が、WBCでは選手と適度な距離を保つためにあえてコミュニケーションを取らず、勝つための判断と選択に集中していたという。「フラットな関係が良いと言われるが、やはりマネージャー、管理職はメンバーと適度な距離を保つべき」と受け取られがちだが、ここにも注釈が必要だ。「適度な距離感」というものは組織ごと、メンバーごとに異なる。業務の性質、組織やマネージャーのミッションや、メンバー個々の役割や性格、実力、そしてメンバー同士の相性…それぞれに適度な距離やコミュニケーションの仕方は異なるのが当然だ。栗山監督は、今回の侍JAPANの選手を「超一流の集団」と表現していた。一流の自律型人材だからこそ、試合中に起こる数々の事象について監督があれこれ意味づけをしなくても、選手はそれぞれに自分の頭で考え、最善の行動をとってくれる。一方で、結果を何よりも求められる状況だったから、個人的に関係が深い選手を起用しているなどと誤解されないような配慮をしながら、自分は選択と決断という役割に徹するのが今大会では最善だという合理的判断に至った、という解釈をするのが妥当だと思う。

栗山監督は監督として優れた方であり、人間性も素晴らしいと思っている。実際、『栗山ノート』には論語や易経などの中国古典や稲盛和夫氏の言葉が多数引用されていることから、哲学と方法論を高度に兼ね備えた人であることが伺える。一方で、現実社会の多くはWBCやプロ野球の試合とは全く異なる状況で仕事をしている。栗山監督のマネジメント術を都合よく解釈し表面的に真似をするのではなく、相手のことを考える、感情コントロールを行う、人間としての器を大きくする、という基本的な哲学を学ぶことができたら最高だと思う。同時に、全ての組織やチームにはそれぞれの役割や期待される結果があるのだからこそ、侍JAPANほど素晴らしい環境にない場合でも、小さくともできることが日常的に無数にあるし、ちょっとした言い方の工夫や綿密なコミュニケーションによって改善できることが多くある、という事実にも目を向けることが重要だと思う。小手先のことも大事にしながら、小手先だけでは通じないものを身に着けていく。そうしたお手本の一つとして、栗山監督の言葉を受け止めたい。


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